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母親似の愛されキャラ?家康と瀬名の長女・亀姫(演:當真あみ)が女大名になるまで【どうする家康】

戦国時代
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素直でたおやか、母親似の長女
亀姫 かめひめ
[當真あみ とうまあみ]
家康と瀬名の間に生まれた、徳川家の長女。母に似て愛らしく天真らんまんで、家康からの溺愛はもちろんのこと、周囲から愛されて育つ。山深く奥三河にある長篠城城主・奥平信昌との政略結婚を持ちかけられる。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

第1回「どうする桶狭間」でサラッと誕生して以来、母親の瀬名(演:有村架純)にくっついている長女の亀姫(演:子役不明⇒當真あみ)。

亀姫と奥平信昌。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

果たして彼女がどのような生涯を辿るのでしょうか。NHK大河ドラマ「どうする家康」の予習をしておきましょう。

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嫉妬深さは母親譲り?夫の死後に奥平家を取り仕切る女大名へ

亀姫は永禄3年(1560年)に駿府で誕生しました。この辺りは劇中でも紹介されていましたね。

その後は基本的に母親と一緒に行動しており、16歳となった天正3年(1575年)、奥三河の長篠城主・奥平貞昌(演:白洲迅)に嫁ぎました。

……また奥平九八郎六町にもたらざる掻揚にこもり。数万の大軍にかこまれながら。終に一度の不覚なく後詰を待ちゑて勝軍せしは。古今稀なる大功なりと。信長より一字を授られ。これより信昌とあらためたり。(世には九八郎はじめ貞昌といひしが。此時信昌とあらたむといふ。されど貞昌は曾祖の諱なり。その家傳には定昌と書しといふ。)   君より大般若長光の刀に三千貫の所領をそへて給ふ。又信昌が妻はそのかみ武田が家へ質子としてありけるを。勝頼磔にかけし事なれば。こたび第一の姫君を(亀姫と申。)信昌にたまわり御聟となさる。これも信長のあながちにとり申されし所とぞ聞えし。……

※『東照宮御實紀』巻二 天正三年「勝頼評信康」
亀姫の夫・奥平信昌。久昌院蔵

【意訳】奥平九八郎(貞昌)が武田の大軍に包囲されながら小さな長篠城を守り抜いたのは、古今まれなる大手柄と織田信長(演:岡田准一)が絶賛。名前から信の字を与えて貞昌から奥平信昌と改名した。

また、武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の人質となっていたため磔刑に処された信昌の妻に代わり、家康の長女・亀姫を信昌へ嫁がせるよう信長が勧めたという。

さて、奥平信昌に嫁いだ亀姫は母親に似て?嫉妬深かったのか、信昌に一人も側室を置かせませんでした。

もちろん自分で4男1女を生んだので、信昌も文句は言えなかったことでしょう。

【奥平信昌と亀姫の子供たち】

  • 奥平家昌(いえまさ。天正5・1577年生~慶長19・1614年没)
  • 奥平家治(いえはる。天正8・1579年生~天正20・1592年没)
  • 奥平忠政(ただまさ。天正8・1580年生~慶長19・1614年没)
  • 奥平忠明(ただあき。天正11・1583年生~寛永21・1644年没)
  • 女子・大久保忠常(おおくぼ ただつね。大久保忠世の嫡孫)室

※家治と忠政が同じ天正8年生まれなのに西暦が違うのは、和暦とのズレによる。

亀姫と信昌の長男・奥平家昌。奥平神社蔵

亀姫に支えられた信昌は順調に忠功と武勲を重ね、慶長5年(1600年)に天下分け目の関ヶ原合戦に勝利。翌慶長6年(1601年)には恩賞として美濃国加納(岐阜県岐阜市)10万石に栄転します。

加納へ移住したことによって亀姫は加納御前(かのうごぜん。加納の方)と呼ばれるようになりました。

やがて慶長12年(1607年)に信昌が隠居して三男の忠政に家督を譲ります(長男の家昌は宇津宮藩主として独立)。

しかし慶長19年(1614年)に忠政が亡くなり、翌慶長20年(1615年)に夫の信昌が亡くなると、まだ幼い孫の奥平忠隆(ただたか。慶長13・1608年生まれの8歳)を亀姫が後見役として補佐しました。

この頃には夫の菩提を弔うために出家・剃髪して盛徳院と号し、実質的な女大名として君臨したのです。

そして寛永2年(1625年)に66歳で世を去りました。戒名は盛徳院殿香林慈雲大姉(せいとくいんでんこうりんじうんだいし)、墓所は岐阜県岐阜市の光国寺はじめ愛知県岡崎市の法蔵寺、同県新城市の大善寺にあります。

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【亀姫・加納御前の生涯略年表】

  • 永禄3年(1560年)……誕生。1歳
  • 天正3年(1575年)……奥平信昌と結婚。16歳
  • 天正5年(1577年)……長男・奥平家昌が誕生。18歳
  • 天正7年(1579年)……母・築山殿(瀬名)が処刑される。20歳
  • 天正8年(1579年)……次男・奥平家治が誕生。20歳
  • 天正8年(1580年)……三男・奥平忠政が誕生。21歳
  • 天正11年(1583年)……四男・奥平忠明が誕生。24歳
  • 年代不詳……長女・大久保忠常室が誕生。
  • 天正20年(1592年)……家治に先立たれる。33歳
  • 慶長6年(1601年)……信昌に従い美濃国加納へ移住。42歳
  • 慶長12年(1607年)……信昌が隠居して家督を忠政に譲る。48歳
  • 慶長13年(1608年)……忠政の嫡男・奥平忠隆が誕生。49歳
  • 慶長19年(1614年)……忠政に先立たれ、忠隆が家督を継ぐ。55歳
  • 慶長20年(1615年)……信昌に先立たれ、忠隆の後見人となる。56歳
  • 元和2年(1616年)……父・家康が亡くなる。57歳
  • 寛永2年(1625年)……66歳で亡くなる。

以上、家康と瀬名の長女・亀姫の生涯を駆け足でたどってきました。

側室を一人も置かせなかった嫉妬深さは母親譲り?そして息子や夫に先立たれた後に藩政を取り仕切った女大名ぶりは、まさしく家康と瀬名の娘と言えるでしょう。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな活躍を魅せてくれるのか。當真あみの好演に期待ですね!

※参考文献:

  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 阿部猛ら編『戦国人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年9月
  • 黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』平凡社新書、2022年10月

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