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公暁に仕えた駒若丸(三浦光村)とは何者?込江大牙が演じるその生涯【鎌倉殿の13人】

鎌倉時代
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三浦義村の息子。連絡係として、父・義村と公暁の間をつなぐ。のちの三浦光村。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

時は建保5年(1217年)6月20日。京都での修行を終え、鎌倉へと戻って来た公暁(演:寛一郎)。やがて彼は鶴岡八幡宮寺で千日参籠(せんじつさんろう。千日間≒約3年間にわたるお籠もり修行)を始めます。

込江大牙演じる駒若丸(三浦光村)。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

原則的に外部との接触を断つため、その身辺をお世話するのは稚児たちだけ。その一人が駒若丸(こまわかまる)です。

公暁の乳父である三浦義村(演:山本耕史)の子ですから、公暁とは乳兄弟の関係に当たります。

父と公暁の連絡役を務める駒若丸(三浦光村)を演じるのは込江大牙。果たして彼はどんな生涯をたどるのでしょうか。

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乱闘騒ぎで『吾妻鏡』デビュー

駒若丸(三浦光村)は元久元年(1205年)、三浦義村の三男(異説あり)として誕生。鎌倉へ帰って来た公暁の門弟として仕えます。

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』における初見は建保6年(1218年)9月14日。昨晩、鶴岡八幡宮寺の境内で乱闘騒ぎを起こしたとのこと。

……鶴岳宮騒動…(中略)…宿直之輩候廻廊。而兒童若僧等徘徊明月。彼宿直人見無礼之故。起鬪諍。爲少生被打擲云々。

【意訳】夜中に稚児らが明月を見て境内をブラブラしていたところ、宿直の御家人に咎められたのを逆ギレし、殴りかかったそうな。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)9月13日条

まぁ血気盛んな三浦党、元服前の子供ながら勇ましいことですね。しかし翌日、駒若丸は謹慎を命じられてしまいました。

……被糺明去夜宮寺狼藉事。是三浦左衛門尉義村子息駒若丸〔光村是也〕爲張本云々。謂。件宿直人者。右大將家御時。敬神之餘。以恪勤〔号小侍〕等結番之。毎夜所被警固宮中也。其儀于今不怠之處。逢耻辱之間。向後可停止此事之由被定下。於駒若丸者。被止出仕云々。

【意訳】昨夜の騒動について調べたところ、駒若丸が原因とのこと。そもそも鶴岡八幡宮寺の宿直は亡き頼朝公の時代、信心深い御家人たちに命じて毎晩警備をさせたことに始まる。なのに今回このような恥辱を受けた以上、もう宿直は廃止しようと決められた。駒若丸については出勤停止処分にされたそうな。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)9月14日条

……駒若丸が次に登場するのは承久2年(1220年)12月1日。昨建保7年(1219年。承久元年)1月27日に公暁が源実朝(演:柿澤勇人)を暗殺した時にはまだ謹慎中だったようで、少なくとも表立った動きはしていません。

実朝を暗殺する公暁。もし駒若丸がこの場にいたら、どんな役割を果たしただろうか(それとも、裏で動いていた?)。月岡芳年筆

また、この期間内に元服したようで、『吾妻鏡』同日条においては「光村」と諱(いみな。成人後の実名、忌み名)で表記されています。

天顏快霽。午刻。若君着袴也。於大倉亭南面〔垂簾〕有其儀。武藏守泰時。足利武藏前司義氏。駿河守義村。小山左衛門尉朝政。千葉介胤綱以下着小侍。次中將實雅朝臣〔束帶〕。右京兆〔布衣〕。相州〔同〕等候東面弘廂。時尅。後藤左衛門尉基綱持裝束〔納廣蓋〕進于前。京兆結腰。二品扶持若君。次被獻兵具。劔武州。弓矢前武州。刀義村。甲〔盛唐櫃蓋〕朝政。宗政等舁之。馬三疋。一〔銀鞍。糸鞦〕朝光。家長引之。二〔鞍同上〕泰村。光村。三〔裸〕經朝。朝貞等引之。

【意訳】すこぶる快晴。昼頃、新鎌倉殿・三寅(みとら。後の藤原頼経)が袴着初めの儀式(着袴の儀)に臨んだ……(以下略)……。

※『吾妻鏡』承久2年(1220年)12月1日条

光村は兄・三浦泰村(やすむら)共に引出物の鞍付き駿馬を献上しました。

なお通称は駿河三郎(するがのさぶろう)。父・義村が駿河守であったためその三男であることを示します。

光時に烏帽子を被せてもらう駒若丸改め光村(イメージ)

また光の字は駒若丸の烏帽子親(えぼしおや。元服に際して烏帽子をかぶせることで仮の親子となる)は北条光時(ほうじょう みつとき)。北条朝時(演:西本たける。義時次男)の子で、代々名越の館に住んでいたためこの家系は名越流とも呼ばれました。

この一族はとかく北条泰時(演:坂口健太郎)はじめ得宗家(とくそうけ。北条の嫡流、後世の呼称)に対して(自分たちの方が義時正室の子=嫡流であるという)ライバル心を燃やしており、光村もその影響を少なからず受けたようです。

話を戻してまたその後、暫く光村は登場しません。恐らく「鎌倉殿の13人」におけるクライマックスとなろう承久の乱(承久3・1221年5~6月)でも出陣しておらず、鎌倉で留守番だったものと見られます。

血気盛んな光村はさぞ初陣を飾りたがったでしょうが、まだ17歳だから仕方ありませんね。

長兄・三浦朝村と馬を曳く光村(イメージ)

次に登場するのは承久4年(1222年)の元日。ここでは長兄の駿河小太郎こと三浦兵衛尉朝村(ひょうゑのじょう ともむら)と共に引出物の馬を曳く役目でした。

更に貞応2年(1223年)4月13日には競馬(くらべうま)や相撲(すまい。現代の相撲と大きく異なり、実質的には格闘技)に出場。血気盛んな三浦の若者らしいですね。

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終わりに

とまぁそんな感じで、その後も使者を務めたり引出物の馬を曳いたりの光村。北条義時(演:小栗旬)の在世中はあまり派手に活躍できなかったものと見られます。

公暁による実朝暗殺の時は謹慎中、承久の乱には若すぎてお留守番……さぞ悔しかったろうと思いますが、彼の本番は第3代執権・北条泰時が世を去った後。

「北条から、鎌倉を取り戻す!」

光村は大御所・藤原頼経(三寅)を筆頭とする将軍派(鎌倉幕政の実権を将軍に取り戻す派閥)の急先鋒として活躍。

宮騒動・宝治合戦を経て壮絶な最期を遂げるのですが、大河ドラマではそこまで演(や)らないので又にしましょう。

果たして込江大牙さんが演じる駒若丸は、どんな活躍(アレンジ)で物語を彩ってくれるのか、楽しみですね!

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 8承久の乱』吉川弘文館、2010年4月

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