NHK大河ドラマ「どうする家康」皆さんも観ていますか?筆者も第1回放送「どうする桶狭間」から毎週欠かさず、ずっと見守ってまいりました。
さて、第47回放送「乱世の亡霊」にて、徳川家康(松本潤)が写経をしていたシーンを覚えているでしょうか。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
あれは日課念仏と言って、現世における罪業を懺悔して念仏を書き唱える修行の一つでした。聞くところによれば、南光坊天海に勧められたとか。
その中に「南無阿弥家康」と書かれた部分がありました。いったいこれは何の意味があるのでしょうか?
南無+阿弥陀仏じゃないの?南無+阿弥+家康の用法は正しい?
南無阿弥陀仏という言葉は「南無」+「阿弥陀+仏」で「阿弥陀仏さま、どうかお救い下さい」という意味です。
なので「南無」+「阿弥」+「家康」だと意味がおかしくなってしまうのではないでしょうか。
しかし考えてみれば、能楽師の観阿弥・世阿弥など阿弥陀の名をつけて「~阿弥」と称した人物がいます。
また亡くなることを「お陀仏」と言うように、阿弥陀仏を「阿弥」と「陀仏」と切り分けて使う例がないでもありません。
「南無」は方向の基準(※南。例えば「指南」なんて言いますね)を見失って人生に迷い、神仏にすがるしかない絶対的な信仰を表す言葉。これらを総合すると、このようになります。
「南無」……絶対的に信仰します≒お救い下さい。
「阿弥」……阿弥陀如来さま・
「家康」……徳川家康さま。
この「阿弥家康」とは阿弥陀如来「と」家康なのか、阿弥陀如来「の加護を受けた」家康なのか、それとも阿弥陀如来「にも等しい」家康なのか分かりません。
そもそも家康が書いていて自分に救いを求めるというのもおかしな話。実際のところはたくさんたくさん南無阿弥陀仏と書いているうち、ゲシュタルト崩壊を起こしてうっかり「南無阿弥家康」と書いてしまったのではないでしょうか。
じっさい長野県上田市の常楽寺に遺されている徳川家康日課念仏(国指定重要美術品)には、文中に6ヶ所ほど「南無阿弥家康」とあるようです。
そりゃ660体も名号(南無阿弥陀仏)が書かれていれば、たまには書き間違いもあるでしょう。
劇中では家康の決断を示すかの如く、末尾に大きく「南無阿弥家康」と書いていましたが、どうもそういうことはなさそうです。
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「南無阿弥家康」は単なる書き間違いでは?
以上、徳川家康の日課念仏における「南無阿弥家康」の謎を掘り下げてみました。
とりあえず単なる書き間違いだと思いますが、もしかしたら「南無阿弥家康」と書いた文中6ヶ所の位置関係などから、何か暗号が隠されているのかも知れません。
そんなことはなかろうと思うものの、想像する分には楽しそうですね。
極楽往生を願って南無阿弥陀仏と書きに書きまくり、唱えに唱えまくった徳川家康。その中に書きまじってしまった「南無阿弥家康」は雑念なのか煩悩なのか……果たして極楽往生できたのか、気になるところです。
※参考文献:
- 徳川家康日課念仏(常楽寺)|上田市の文化財
- 村井康彦「京の歴史と文化3 乱」講談社、1994年5月
- 柳宗悦「南無阿弥陀仏」筑摩書房、1982年7月
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