豊臣秀吉の正室として天下獲りを支えた北政所(きたのまんどころ)、またの呼び名を高台院(こうだいいん)として知られています。
彼女の本名については諸説あり、大抵は「ねね(寧々)」「おね(阿寧)」などと考えられてきました。
果たしてどちらが正しいのか、あるいは他の名前があるのか、それともすべて嘘なのか……。
皆さんは、どう思いますか?
気になる彼女の本名は?

結論から言うと、恐らく彼女の本名は寧(ねい。または子為)が最も近いのではないでしょうか。
①ねい:本名か、最も近い?
②ねね:頭音を繰り返すことで可愛く
③おね:お、を冠して親しみやすく
④ね:署名には使われるが、一文字の名前は実例がない
ここであえて断言せず「最も近い」としているのは、他の可能性も考えられるからです。
【仮説】彼女の本名が例えば寧子(やすこ)や寧栄(やすえ)だったとして、頭文字をあえて音読みすることで、本名を隠したとは考えられないでしょうか。
特に中世以前の女性は、本名を諱(いみな。忌名)として名乗ったり呼ばれたりすることを嫌いました。
男性についても軽々に諱を用いず、元服した男性たちは、多くの場合通称を用いています。
例えば秀吉なら藤吉郎、秀長であれば小一郎が通称でした。
話を戻しますと、寧(ねい)が基本で阿寧(おね)はカジュアルな敬称、そして寧々(ねね)はかなりフランクな感じです。
だから関係によって、彼女を「ねい」「おね」「ねね」と呼んだのではないでしょうか。
もちろん明らかに力関係があったり、畏まった関係であったりすれば、御内儀(おないぎ)・北方(きたのかた)などと呼んだはずです。
北政所の呼び方まとめ

- ねい → たぶん正式名称?
- おね → 親しみつつ敬称
- ねね → かなりフランク
- ね → 署名のみ。非呼称
- 吉子(よしこ) → 朝廷から下賜されたもの
- 北政所 → 秀吉の「正室」としての一般的な敬称
- 高台院 → 秀吉死後、出家した院号
今回は秀吉の正室である北政所(高台院)について、その本名を考察してきました。
ちなみに彼女の「本名」としては、豊臣吉子(よしこ)も天正16年(1588年)に朝廷から下賜された正式な名前ではあります。
※ただし秀「吉」の妻≒女≒「子」に過ぎないので、あまり使われなかったことでしょう。
いまだに決着を見ない「ねね・おね論争」ですが、皆さんは彼女を何と呼ぶのがしっくりきますか?
※参考文献:
- 福田千鶴『人物叢書 高台院』吉川弘文館、2024年2月
- 村川浩平『日本近世武家政権論』日本図書刊行会、2000年6月

