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【関ヶ原の戦い】大久保忠益(吉家章人)、実は歴戦の勇者だった【どうする家康】

戦国時代
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NHK大河ドラマ「どうする家康」、皆さんも観てますか?

第42回放送「天下分け目」で、大切な書状を敵に奪われてしまった大久保忠益(吉家章人)。

腹を切って詫びると泣き叫ぶだけで退場してしまいましたが、実際のところはどうだったのでしょうか。

今回は江戸時代の系図集『寛政重脩諸家譜』より、大久保忠益の生涯をたどってみましょう。

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数々の合戦で武功を重ねた勇士

武勇を奮う大久保忠益(イメージ)

●忠益

初忠利 與一郎 助左衛門 大久保五郎右衛門忠俊が五男、母は某氏。……

※『寛政重脩諸家譜』巻七百四 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保

大久保忠益は天文16年(1547年)、大久保忠俊の五男として誕生しました。徳川家康より5歳下ですね。
母親は不明、通称は與一郎もしくは助左衛門。元服してはじめ大久保忠利と称し、後に忠益と改名しています。ちなみに大久保忠世とは従兄弟同士の関係です。

……東照宮につかへたてまつり、永禄六年本願寺の門徒一揆のとき父兄親族等とともに上和田の砦にありて賊徒をふせぎ、軍忠を励し創をかうぶる。この役に朋友某忠益が鎗を借て敵を突てその鎗を捨、敵これをとる。忠益敵陣に馳いり、かの鎗を奪ひ、その敵を突首級を得たり。……

※『寛政重脩諸家譜』巻七百四 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保

若くして家康に仕え、永禄6年(1563年)の三河一向一揆で17歳の初陣を飾ります。

父や兄たち一族一丸となって賊徒に立ち向かい、上和田の砦を守り抜く武勲を立てました。この戦闘で負傷してしまいますが、それで挫ける忠益ではありません。

また、こんなことがありました。忠益の朋友である某が忠益から槍を借りたそうですが、その某は戦闘中に槍を捨ててしまい、敵がその槍を奪いとります。

「ふざけるな!槍を返せ!」

忠益は敵中に殴り込みをかけて槍を奪い返し、奪った敵の首級も奪ってきたのでした。

「槍を貸してやった利息だ、悪く思うな!」……とか何とか。

……元亀元年姉川の役に、御旗本にありて敵兵をうちとり、三年三方原の戦にもしたがひたてまつり、天正三年長篠の合戦には柵際にをいて首級を得たり。八年遠江国色尾の御退口にしたがひたてまつり、九年高天神の城攻にも供奉し、戦を交へ創をかうぶるといへども、首級の功あり。……

※『寛政重脩諸家譜』巻七百四 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保
槍を奪い返した大久保忠益(イメージ)

その後も武功を重ねた大久保忠益。華々しい戦歴を一気に並べていきましょう。

  • 元亀元年(1570年)……姉川合戦では家康の旗本として従い、敵を討ち取る。
  • 元亀3年(1572年)……三方ヶ原合戦にも従軍。
  • 天正3年(1575年)……長篠合戦では首級を獲る。
  • 天正8年(1580年)……遠江色尾の退口(退却戦)に従軍。
  • 天正9年(1581年)……高天神城合戦に供奉(家康に近侍)。負傷するも首級を上げる。

……十二年長久手合戦のときは、水野太郎作正重、小林又六某、青山善左衛門正長、安藤五左衛門重信等とともに柵際にいたりて敵を討とる。……

※『寛政重脩諸家譜』巻七百四 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保

天正12年(1584年)の小牧・長久手合戦に際しては水野正重(太郎作)・小林又六・青山正長(善左衛門)・安藤重信(五左衛門)らと共に敵方の柵際へ肉薄。敵を討ち取る武勲を立てたのでした。

……慶長五年関原御陣のときは、御使番に列してしたがひたてまつり、後御徒頭をつとむ。元和三年十月九日死す。年七十一。法名日浄。

※『寛政重脩諸家譜』巻七百四 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保

注目の関ヶ原合戦(慶長5・1600年9月15日)に際しては、家康の使番(伝令将校)として従軍。後に御徒頭(おかちがしら。歩兵隊長)を務めました。

以降の武勲については特に言及がありませんが、度重なる負傷もたたって引退したのでしょうか。

そして家康が亡くなった翌元和3年(1617年)10月9日、71歳で世を去ったのです。法名は日浄と言います。

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終わりに

大久保氏の家紋・大久保藤。

【大久保氏略系図】
……大久保忠俊-大久保忠益-大久保忠政=大久保忠尚(忠政弟)=大久保忠隆(忠政子)=大久保忠重=大久保忠晶(ただまさ)-大久保忠主(ただぬし。無嗣断絶)

※『寛政重脩諸家譜』巻七百四 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保

以上、徳川家康に仕えた大久保忠益の武勇伝を紹介してきました。

徳川秀忠に書状を届けた際、利根川の増水によって足止めを食ってしまったのは確かなようですが、真田の忍びが扮する船頭に書状を奪われてしまい……という設定は蛇足のように思います。

ともあれ、大久保忠益の子孫は代々徳川将軍家に仕え、譜代の名門として忠義を尽くしたのでした。

NHK大河ドラマ「どうする家康」ではこれでお役御免と思われますが、その後もどこかに出てきたら、ぜひ活躍して欲しいですね!

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第4輯』国立国会図書館デジタルコレクション

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