忍者一筋 大ベテラン
大鼠
[千葉哲也]服部半蔵につかえる忍者集団の長。鼠のように這いつくばり、素早い動きをするので大鼠と呼ばれる。冷静沈着かつプロフェショナルな老忍者で、ふだんは農業を営み、身を隠す。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
徳川家康(とくがわ いえやす)の天下獲りを支えた半蔵こと服部正成(はっとり まさなり)。その活躍から後世に徳川十六神将にも数えられています。
槍働きが本分ながら、忍びを率いたこともあるため忍者としてのイメージが強い半蔵。NHK大河ドラマ「どうする家康」でもその路線で活躍するようです。
さて、そんな半蔵に仕える老忍者・大鼠(おおねずみ)。その二つ名から巧みな忍術を駆使する姿が目に浮かびますね。
この大鼠にモデルがいるのか調べてみたら、『南紀徳川史』に神谷権六(かみや ごんろく)なる名前を発見。その二つ名が大鼠とのこと。
果たして大鼠こと神谷権六はどんな活躍をしたのか、『南紀徳川史』の一部を垣間見て行きましょう。
高天神城の攻略に活躍
……天正二年甲戌年之比遠州高天神城主小笠原與八郎逆心仕甲州方一味之後大須賀五郎左衛門ニ城東郡ヲ被下高天神城押トシテ馬伏塚ニ御差置被遊弥兵衛本地モ同所ニ有之ニ付依 上意馬伏塚ヘ罷越大須賀之手ニ加相守高天神落城之時弥兵衛家来神谷権六林藤内ヲ初三十六人忍之者ヲ召連御先手ニテ相働申候……
【読み下し】……天正二年、甲戌(きのえのいぬ)の年のころ。遠州(えんしゅう)高天神城(たかてんじんじょう)主・小笠原与八郎(おがさわら よはちろう)が逆心(げきしん)つかまつりて甲州方(武田勝頼)に一味の後。
※『南紀徳川史』
大須賀五郎左衛門(おおすが ごろうざゑもん。康高)に城東郡を下され、高天神城の押さえとして馬伏塚(まむしづか。馬伏塚城)にお差し置きあそばさる。
弥兵衛(やへゑ/やひょうゑ。大村高重)が本地も同所にこれあるにつき、よって上意馬伏塚へ罷り越し、大須賀の手に加え相守る。
高天神落城の時、弥兵衛が家来、神谷権六(かみや ごんろく)・林藤内(はやし とうない)を初め三十六人忍びの者を召し連れ御先手にて相働き申し候……
時は天正2年(1574年)5月、遠江国の高天神城が武田勝頼(たけだ かつより)に攻められ、城主の小笠原氏助(おがさわら うじすけ。与八郎)が内通したため陥落しました。
ただし落城の原因には諸説あり。再三の援軍要請に家康が応えられなかったため、城兵の命を救うためやむなく降伏したとする説も。
与八郎と共に城を守備していた大須賀康高(やすたか。五郎左衛門)は解放され、反攻の足がかりとして馬伏塚城の守りを固めます。
この時、大村高重(おおむら たかしげ。弥兵衛)が近くに住んでいたため、家康は弥兵衛を康高の元へ合流させました。
やがて家康が高天神城の奪還に乗り出すと、弥兵衛は「大鼠」こと神谷権六や、林藤内ら36名の忍びを率いて先手を務めます。
先手と言っても忍びの者を目立つ最前線に投入したのではなく、恐らく城内など各所に潜入し、攪乱工作などに活躍したのでしょう。
ほか34名については名前がないものの、当時康高の下に与していた半蔵らが加勢していたのかも知れませんね。
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終わりに
以上、『南紀徳川史』より大鼠こと神谷権六のエピソードを紹介してきました。この他にも活躍があるのか、今後も調べていきたいですね。
忍びはその性質上、ほとんどが謎に包まれていますが、そのぶん大河ドラマなどでアレンジしやすい存在と言えます。
また大鼠と共に活躍する女大鼠(演:松本まりか)についても実在のモデルがいるのか、調べたいところ。NHK大河ドラマ「どうする家康」で彼らがどんな活躍を魅せるのか、楽しみにしています!
※参考文献:
- 岡本八重子 編『週刊新説戦乱の日本史 伊賀忍者 影の戦い』小学館、2008年1月
- 平山優『天正壬午の乱 本能寺の変と東国戦国史 増補改訂版』戎光祥出版、2015年7月
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