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そりゃ斬られるわ!幕末の志士・坂本龍馬があまりに無防備すぎた件について

幕末維新
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「日本の夜明けぜよ!」

幕末ファンなら(多分)誰もが知っているであろう坂本龍馬(さかもと りょうま)

それまで対立していた薩摩と長州の和解(薩長同盟)や、日本の新しい政治システムのヒントとなった船中八策(せんちゅうはっさく)など、虚実を織り交ぜながら大活躍。

幕末モノでは誰がキャストを務めるかが話題になるなど、明治維新を成し遂げる上で欠かせないキーパーソンとして、高い人気を集めています。

(珍しく令和3年大河ドラマ「青天を衝け」では登場しませんでしたが……)

そんな龍馬のトレードマークは、語尾の土佐弁「〜ぜよ!」

創作の影響が大きいものの、これを聞くと龍馬の豪快なキャラクターと、壮大なスケール観を感じるファンも多いことでしょう。

実際の龍馬も豪快な人物だったようですが、なにぶん「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、いささか無防備すぎるきらいがあったようです。

今回はそんな坂本龍馬の無防備さについて、土佐藩出身の同志である田中光顕(たなか みつあき)のコメントを紹介したいと思います。

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窮屈な安全より、危険でも自由に暮らしたい!

「おい、坂本君。少しは自重したまえ!」

「何じゃ田中、せっかくいい気分なんだから邪魔しないでくれたまえ。なぁ、お竜?」

「えぇ……」

人目も構わずいちゃついて、故郷のよさこい節など高歌放吟しながら京都は四条大橋を大股で闊歩する坂本龍馬。

周囲には、隙あらば斬らんと目を光らせている刺客の姿も散見されます。

「まったく……」

龍馬の身を案じた、若き日の田中光顕。Wikipediaより

かねてより佐幕派の新選組(しんせんぐみ)や見廻組(みまわりぐみ)などから命を狙われていると言うのに、周囲の心配もどこ吹く風とばかり、勝手気ままに暮らしていました。

「こんなことをしていたら、遠からず命を落とすことになる……やはり伊東君(※)が勧める通り、土佐藩邸に入って保護を受けるべきだ」

(※)伊東甲子太郎(いとう かしたろう)。新選組で参謀を務めながら、後に尊攘派組織「御陵衛士(ごりょうえじ)」を結成して新選組と対立、暗殺される。

かつて脱藩した土佐藩からもとうに赦され、その預かりとなればひとまず身柄は安心ですが……。

「嫌じゃ。土佐藩邸に入ったら門限とか何かと細かな規則があって窮屈じゃきに、性に合わん」

「そんな事を言うておる場合か……」

「それに」

田中の言葉を遮って、竜馬は言います。

天下御一新の大業が満願成就したならば、もう思い残すこともない。この身も無用じゃ」

天地神明に誓(か)けて、掛け値なしの命懸けでやってきたのだから……そんな思いを聞いて田中は何も言えなくなってしまったのか、龍馬は相変わらずの不用心三昧だったということです。

エピローグ

かくして慶応3年(1867年)11月15日、龍馬は同志の中岡慎太郎(なかおか しんたろう)ともども近江屋で暗殺されてしまいます(近江屋事件)。

「坂本君、君は本当に馬鹿だ……」

坂本龍馬と中岡慎太郎の像。Wikipediaより(撮影:mariemon氏)

あれほど楽しみにしていた「日本の夜明け」を見ることなく逝ってしまった龍馬。早すぎる死を惜しむ声は少なくありませんでした。

しかし……いざ「夜明け」を迎えてしまったら、龍馬には少し窮屈だったかも知れません。

「世が乱れている時は好き放題に暴れ回り、世が治まった潮時で退場する」

坂本龍馬はそんな時代の徒花(あだばな)、ある種のトリックスターだったようにも思えます。

※参考文献:

  • 新人物往来社 編『坂本龍馬歴史大事典』新人物往来社、1995年4月
  • 田中光顕『最後の志士が語る 維新風雲回顧録』河出文庫、2010年8月

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