徳川家康(演:松本潤)の天下取りを支えた個性豊かな家臣団の中でも、特に秀でた4人を指した徳川四天王。その顔ぶれは以下の通りです。
- 酒井忠次(演:大森南朋)
- 榊原康政(演:杉原遥亮)
- 井伊直政(演:板垣李光人)
- 本多忠勝(演:山田裕貴)
基本的に順不同ながら、最年長ゆえか酒井忠次が四天王の筆頭であることは広く認められています。
しかし、どうやら忠次だけ家康に嫌われていたんじゃないかと思われる節があるのです。
なぜ忠次は嫌われたのか?今回はその辺りについて紹介。NHK大河ドラマ「どうする家康」の予習になるかも知れません。
浮きまくり!悪くはないけど、微妙に嫌すぎる忠次への待遇
酒井忠次が徳川家康から嫌われていたかもしれない……他の四天王と待遇を比べてみると分かりやすいです。
- 酒井忠次……上総国臼井4万石
- 榊原康政……上野国館林10万石
- 井伊直政……近江国彦根18万石
- 本多忠勝……伊勢国桑名10万石
※これは最終的な石高です。
ちなみに他の譜代家臣たちは1〜2万石以下がほとんど。
忠次の待遇は「周りよりちょっといいけど、四天王の中では明らかに見劣りしている」という絶妙な嫌さ加減です。
やがて忠次が隠居して、嫡男の酒井家次(いえつぐ)が家督を継ぐと、家康に「もうちょっと増やしていただけないでしょうか」と懇願しました。
すると家康は「ふ〜ん、お前でも息子は可愛いんだな(意訳)」というキツい返答。
その後、家康が亡くなるまで加増されることはありませんでした。
家康が嫌味を言ったのは、嫡男・徳川信康(演:細田佳央太)と瀬名(演:有村架純。築山殿)を失った事件に由来します。
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瀬名と信康を喪った「築山殿事件」
時は天正7年(1579年)、信康に嫁いでいた徳姫(演:久保史緒里)が父・織田信長(演:岡田准一)に告げ口をしました。
「信康と瀬名が武田勝頼(演:真栄田郷敦)と内通して謀叛を企んでいる」云々。
娘の訴えを聞いた信長は、織田・徳川両家の仲立ちとして親しくしていた忠次に、事の真偽を尋ねます。
「のぅ、酒井よ。娘の申し分はまことじゃろうか?」
普通、こういう話はまず否定するか、あるいは十分に確認すべきなどとはぐらかすもの。
しかし、忠次は特に否定もせず「まぁ、そんな事もあるやも知れませんな」的な返答をしたとか。
忠次が言うなら当たらずとも遠からずであろう……ということで、信長は家康に対して信康・瀬名の処刑を命じました。
家康はこれに逆らえず、泣く泣く二人を処刑したのでした……これが後世に伝わる「築山殿事件」の概略です。
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終わりに
「そなたのせいでわしは息子を喪った(殺させられた)のに、何ゆえそなたの息子など可愛がれようか?!」
そんな事が尾を引いて、酒井家は4万石にとどめられたのでした。
「わしの目が黒い内は、絶対に酒井を許さぬ!」
しかし家康が亡くなり、嫡男の徳川秀忠(ひでただ)が実権を握ると酒井家はいきなり2倍以上の10万石に加増。
その後も出羽国庄内14万石を拝領したことからも、それまでの冷遇は家康の個人的恨みが一因と考えられます。
果たして大河ドラマ「どうする家康」ではこの微妙な主従関係をどのように描くのか、見どころの一つとして要チェックです。
※参考文献:
- 本郷和人『徳川家康という人』河出新書、2022年10月
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