若武者 双寿丸(そうじゅまる)
伊藤 健太郎(いとう・けんたろう)賢子を盗人から救ったことで、その屋敷に出入りするようになり、まひろ(紫式部)とも知り合う。武者としての生き方に独自の考えを持っており、興味を持った賢子はひかれていく。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
隆家に従う武者 平 為賢(たいらのためかた)
神尾 佑(かみお・ゆう)藤原隆家と親交のある武者。隆家が大宰府に赴く際に従い、刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。為賢のもとで、双寿丸は武術の研鑽(けんさん)に打ち込んでいる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
第37回放送「波紋」にて、鬼やらえの行列に加わっていた双寿丸。
初登場はほんの一瞬でしたが、何だか義賊・直秀(毎熊克哉)に通じる匂いがしますね。
恐らく創作人物と思われますが、今回はこの双寿丸がどんな人物だったのか、探ってみたいと思います。
刀伊の入寇で討死?
まずは公式サイトの設定から分かることをまとめておきましょう。
- 平為賢に仕えている。
- 藤原賢子を盗賊から救ったことで、彼女と親しくなる。当然まひろとも交流。
- 何やら武者としては独自の(当時の業界常識からはかけ外れた)思想を持っている。
- 賢子から好意を持たれる(程度は未知数だが、設定に書くのだから通常の恩人レベルではなさそう)。
さらに推測するならば
- 平為賢の部下として、刀伊の入寇(寛仁3・1019年3月27日~同年4月13日)に従軍する(でないと平為賢に仕えている設定が無意味に)。
- 刀伊の入寇で活躍する(でないと、せっかくの「独自の考え」設定が活きない)。
そんなところでしょうか。出自は孤児とでもしておけば、それ以上の設定を深掘りする必要はありません。
- 誰か(平為賢かその関係者)に拾われ、平為賢に仕える。
この辺りまでまとめたところで、今後の展開を予想してみましょう。
- 生命を救ったことがきっかけで親しくなった双寿丸と賢子は、大なり小なり親密な関係となる。
- 親密さの程度としては、友達以上恋人未満くらいがよかろうか。
- 刀伊の入寇に従軍して、活躍するも討死。賢子の人生に悲恋の華を添える。
架空の人物である以上、どこかで処分しなければなりません。
刀伊の入寇という大舞台が用意されているなら、ここで討死しないと死ぬ(退場の)タイミングを逸してしまうでしょう。
あるいは戦場から生還し、賢子に何かしらのアプローチをしてからフェイドアウトする展開も考えられなくはありませんが、何か歯切れの悪い感じです。
一方、藤原賢子の華やかな女房生活
ちなみに賢子の方は、刀伊の入寇より前の長和6年(1017年)に上東門院・藤原彰子へ出仕します。
※母のまひろ(藤式部)は既に引退。
宮中生活を通して藤原頼宗(よりむね。道長次男)、藤原定頼(さだより。公任嫡男)、源朝任(ともとう)らと華やかな恋愛絵巻を繰り広げていました。
そんな中、遠く筑紫(九州)で双寿丸が刀伊との合戦で討死したと言われても……「昔そんな男もいたっけな」くらいにしか感じないかも知れません(個人差あり)。
その後は藤原兼隆(かねたか。道兼次男)と結婚。一人娘(源良宗室)を生んだと言います。
これには異論もあり、藤原公信(きんのぶ。藤原為光の子)と結婚したという説もあるとか。
万寿2年(1025年)には親仁親王(後冷泉天皇)の誕生にともないその乳母となりました。女官として憧れの地位であり、よほどの才覚がうかがわれます。
のちに高階成章(なりあきら)と再婚し、長暦2年(1038年)には高階為家(ためいえ)、また娘を生みました。
天喜2年(1054年)に後冷泉天皇が即位すると従三位に昇り、夫の成章は大宰大弐に就任します。
「小倉百人一首」に伝わる大弐三位(だいにのさんみ)という女房名は、自身の位階と夫の官職を組み合わせたものでした。
もし双寿丸が生きていたとしても、彼女の人生に踏み入る余地はなさそうですね。
双寿丸・関連略年表(推定)
- 長徳元年(995年)ごろ 誕生?
- 長保元年(999年)ごろ 賢子が誕生
- 寛弘5年(1008年) 初登場(10代半ばか)
同時期 平為賢に仕える?既に仕えている? - 寛弘6年(1009年)ごろ 賢子を盗賊から守る?
その後 賢子と親しくなり、まひろとも交流 - 寛仁3年(1019年) 刀伊の入寇で討死?
※あくまでざっくりです。
終わりに
今回はNHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する双寿丸について考察してみました。
創作人物ですが、賢子の人生に大きな影響を与える人物として人気を呼ぶのではないでしょうか。
これから双寿丸がどんな活躍を見せるか、伊藤健太郎の好演を楽しみにしています。
合わせて読みたい:
※参考文献:
- 今井源衛『今井源衛著作集3 紫式部の生涯』笠間書院、2007年7月
- 岡一男『増訂 源氏物語の基礎的研究 紫式部の生涯と作品』東京堂出版、1966年8月
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