駿府を追われ、遠州懸川城へ立て籠もった今川氏真(演:溝端淳平)。
それまで将としての才がないと評されていましたが、窮地でついに開花したのか、徳川家康(演:松本潤)の軍勢を相手におよそ半年間も果敢な抵抗を見せました。
劇中では迫りくる徳川勢を楯で食い止め、「アリー!」の掛け声と共に一瞬開いた楯の隙間から一斉に弓射する戦術で敵を翻弄します。
(個人的には最初こそ新鮮だったものの、「4か月後」という字幕の後も、まったく同じ手で撃退されていた徳川勢に「少しは学習しなさいよ」と感じてしまいましたが……)
それにしても「アリー!」という掛け声がちょっと変わっているな、と思いながら見過ごしていましたが、どうやらこれは氏真が得意だった蹴鞠(けまり/しゅうきく)が元ネタなのではないでしょうか。
「アリー!」≒「放て!」?
蹴鞠の競技中における掛け声は「アリ(安林)」「オウ(園)」「ヤウ(楊)」の三種類あります。
アリ(安林)……相手にパスをする時
オウ(園)……パスされた鞠を、自分が受ける時
ヤウ(楊)……自分で蹴り上げた鞠を、自分で蹴り直す時
※諸説あり(資料や動画などによって異なる)
劇中の「アリー!」は、確か敵に矢を放つ時だったので、まさに「この矢を渡すぞ」という掛け声だったのでしょうか。
押し寄せる敵を楯で受け止める時は「オウ!」として、「ヤウ!」の掛け声はどんな状況で使うのか、考えてみると面白いですね。
また鞠を蹴るのは右足のみで膝は曲げない(ただし身体で鞠を一度受け止めるのは可)、蹴る時に下がったり背中を中心に向けないなど、とかく優雅なプレイが求められました。
たとえ戦場でも優雅であれ……もし「どうする家康」を録画やDVDなどで見直すことがあったら、今川軍の動きを観察すると面白そうですね。
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終わりに
なお、家康に降伏したのち北条氏へ身を寄せたものの、けっきょく家康の庇護を受けることになった氏真。
『信長公記』によれば天正3年(1575年)3月20日、織田信長(演:岡田准一)の前で蹴鞠を披露したと言います。
……三月十六日 今川氏真御出仕百端帆御進上以前も千鳥の香炉宗祇香炉御進献の處宗祇香炉被成御返シ千鳥之香炉止置せられ■へキ 今川殿鞠を被遊の由被及聞食
三月廿日於相国寺御所望 御人数 三條殿父子 藤宰相殿父子 飛鳥井殿父子 弘橋殿 五辻殿 鷹司殿 烏丸殿 信長者御見物……
※『信長公記』巻八 天正三年乙亥
父・今川義元(演:野村萬斎)を討たれた桶狭間からおよそ15年、その胸中は複雑だったはずです。
大河ドラマではこれで退場と思われますが、家康が亡くなる直前まで正室の糸(演:志田未来。早川殿)と仲睦まじく暮らした氏真。末永く、好きな蹴鞠や和歌などを楽しんだのでしょうか。
※参考文献:
- 池修『日本の蹴鞠』光村推古書院、2014年6月
- 太田牛一『信長公記』国立公文書館デジタルアーカイブ
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