兵庫県淡路島は、かつて淡路国と呼ばれる四国への入り口(阿波路→あわじ)でした。戦国時代には国人衆の安宅(あたぎ)氏らが割拠していたと言います。
今回はそんな淡路国人衆が治めた白巣城(しらすじょう)を紹介。果たしてどんな歴史が刻まれたのでしょうか。
安宅八家衆の城

白巣城が築かれたのは16世紀初頭、永正16年(1519年)に淡路国守護であった細川氏が阿波の三好氏によって駆逐された後と考えられています。
城跡には地形を活かした堀切や土塁、竪堀(たてぼり)などが設けられ、また本丸・東ノ丸・西ノ丸・米倉などがそれぞれ郭(くるわ)として独立していました。
コンパクトながら丁寧に築城されたことが遺構から伝わり、淡路国の戦国乱世を語る上で代表的な城郭の一つと言えるでしょう。
他にも安宅氏は支城を築いており、安宅八家衆として淡路国の守りを固めました。
安宅八家衆の城
- 白巣城(洲本市五色町鮎原三野畑)
- 岩屋城(いわや。淡路市岩屋)
- 安乎城(あいが。洲本市安乎町)
- 炬口城(たけのくち。洲本市炬口)
- 洲本城(すもと。洲本市小路谷)
- 由良城(ゆら。洲本市由良町)
- 猪鼻城(いのはな。洲本市千種丙)
- 湊城(みなと。南あわじ市湊里)
この他に淡路十人衆と呼ばれた国人たち(菅・野口・島田・田村・梶原・武田など)も割拠し、それぞれに水軍を率いたそうです。
孤立無援で秀吉に立ち向かう

そんな天正9年(1581年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が淡路国へ侵攻してきました。
これまで毛利氏と連携しながら織田家と敵対してきた淡路国衆ですが、この次点では毛利氏の後ろ盾が得られなくなっていたと言います。
単独、いな淡路国衆の総力を結集したところで、秀吉には勝てないでしょう。
そこで淡路国衆のほとんどは即座に降伏を申し出ました。しかしそんな中にあって、白巣城主の安宅九郎左衛門冬秀(くろうざえもん ふゆひで)だけは秀吉に屈することなく徹底抗戦を挑んだと言います。
たちまち秀吉が攻め込んで来たのは言うまでもありません。かつての仲間たちも白巣城攻めに加わったことでしょう。
完全に孤立無援の中、冬秀はじめ白巣城の将兵は、決死の覚悟で秀吉らを迎え撃ちました。
火攻めにより炎上・陥落

白巣城は急峻な地形を活かした山城であり、加えて敵が登りにくいよう、竹の皮をいたるところに敷きつめたそうです。竹の皮は滑りやすいので、城攻めの将兵はさぞ難儀したことでしょう。
攻めあぐねた秀吉は、思案の末に発想を切り替えました。
登りにくいなら、あえて登らなければよいのです。具体的には、城の周囲に敷きつめられた竹の皮に火を放ったのです。
秀吉とすれば、別に焼け落ちて困る城でもなし、さっさと焼き払ってしまおうと考えたのでした。竹の皮はたちまち燃え上がり、白巣城は間もなく火の海となります。
冬秀は焼け死んでしまったそうですが、自害の前に家宝である黄金の鶏を岩の下に隠しました。そして自身は大蛇に化けて岩に巻きつき、焼け死ぬまでその場を動かなかったそうです。
これはあくまで伝承に過ぎませんが、何かしら言い伝えの元となる言動があったのでしょう。
たとえ我が身は果てようと、この鶏だけは守り抜く。平素からよほど大切にしていたことが偲ばれます。
丑三つ時に鶏の声、焼けた米麦……白巣城に残る伝承

かくして白巣城は灰塵に帰し、その後再建されることはありませんでした。
そんな白巣城には伝承が残っており、ここではそのいくつかを紹介したいと思います。
先ほど安宅冬秀が大蛇に化けて、家宝である黄金の鶏を隠した岩に巻きついたという話を紹介しました。
この岩は現存しており、夜中の丑三つ時(深夜2:30ごろ)になると、岩の下から鶏の鳴き声が聞こえるそうです。まさか黄金の鶏が、いまだに眠っているのでしょうか。
もう一つ、白巣城跡からは、火攻めによって焼けてしまった米や麦が出土すると言います。
これを持ち出すと、冬秀の祟りによってお腹を壊すと言い伝えられてきました。まさか数百年前の米や麦を口にする者はいないでしょうから、恐らく手にしただけでも祟られたことでしょう。
落城を経験している城跡には様々な念がこもっていると思われるため、好奇心で夜中に行ったりモノを持ち出したりするのは、控えた方がよいと思います。
終わりに
今回は淡路国の白巣城について、その歴史や伝承を紹介してきました。もし現地を訪れる機会があれば、往時を偲ぶよいよすがとなるでしょう。
他にも戦国時代の城郭があるので、改めて紹介していきたいと思います。
どうぞまたおつき合いください。
※参考文献:
- 朽木史郎ら『ひょうごの城紀行(下)』神戸新聞総合出版センター、1998年12月
- 城郭談話会 編『【図解】近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版、2014年8月

