関東の雄・北条家から嫁いだ姫
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
糸 いと
[志田未来 しだみらい]
今川・北条・武田が三国同盟を結んだ折に、今川氏真に嫁いだ北条氏康の娘。義元亡きあと、家臣たちの裏切りが相次ぐ中、孤独を極める氏真を支える。北条家の女らしく、強い意志を秘めている。
今川氏真(演:溝端淳平)の正室・糸(演:志田未来。早川殿)。第1回からその存在は知られていたものの、第12回放送「氏真」にしてようやく初登場となります。
果たして彼女はどのような女性で、氏真にとってどんな存在だったのでしょうか。その生涯をたどることで、NHK大河ドラマ「どうする家康」の予習になれば幸いです。
氏真に寄り添い続けた生涯
早川殿は生年不詳、相模国から南関東に勢力を伸ばした戦国大名・北条氏康(ほうじょう うじやす)の娘として誕生しました。
生母については諸説あるものの、今川義元(演:野村萬斎)の姉妹である瑞渓院(ずいけいいん。実名不詳)との間に生まれたとする説が有力。その場合、氏真とはいとこ同士となります。
彼女が氏真の元へ嫁いだのは天文23年(1553年)7月、その時の様子が『勝山記』にありました。
……駿河の屋形様へ相州屋形様の御息女を迎い御申し候、御供の人数の煌めき、色々の持ち道具、我々の器用ほど成され候、去るほどに見物、先代未聞に御座有る間敷く候、承け取り渡しは三島にて御座候、日の照り申し候事は言説に及ばず、余りの不思議さに書き付け申し候……
※『勝山記』
【意訳】今川殿へ北条殿の娘(早川殿)をお迎えした時のこと。お供の者たちや嫁入り道具はきらめくように華やかで、道中は見物人であふれ返る前代未聞の様子であった。両家の境である三島で引き渡された時、日が照ったことはあまりにも不思議なので書き留めておいた。
この「日の照り申し候事は言説に及ばず、余りの不思議さ」とは、当日はどんより曇っていたのか雨だったのか、それが一気に晴れ渡ったのでしょう。
まさに輝かしい今川・北条両家の前途を示すような吉兆でした。が。永禄11年(1568年)12月に武田信玄(演:阿部寛)が駿河へ侵攻すると、氏真と共に遠江の掛川城へ脱出しました。
この時、武田が早川殿を十分に保護しなかったことに氏康が怒って武田との同盟を破棄。今川に救援の兵を出しています。
約半年にわたって掛川城に立て籠もり、徳川家康(演:松本潤)と戦った氏真。しかし翌永禄12年(1569年)5月に降伏すると、氏真夫婦は氏康の保護で小田原に移住しました。
二人は相模国早川郷(神奈川県小田原市)に住んだため、氏真の正室は「早川殿」と呼ばれるようになります。
いつか必ず駿河を取り戻そうと闘志を燃やしていた氏真。しかし元亀2年(1571年)10月に氏康が亡くなると、北条家を継いだ北条氏政(うじまさ)は信玄と同盟を復活。
武田の駿河支配を認めたため、北条の元にいては駿河帰国も叶わないと氏真は小田原を去って家康の治める浜松へ移住しました。
やがて信玄が亡くなり、天正10年(1582年)3月に家康が織田信長(演:岡田准一)と共に武田勝頼(演:眞栄田郷敦)を滅ぼすと、氏真夫婦は10数年ぶりに駿府へと帰還します。
しばらく駿府で暮らした氏真夫婦ですが、天正18年(1590年)に家康の関東転封をきっかけに京都へ移住したのです。
家康に従って穢土(えど。けがれた大地。江戸の蔑称)で暮らすより、雅やかな京都の方が性に合うと思ったのでしょう。
しかし慶長17年(1612年)には家康の威光を慕ってか江戸品川へ移住、翌慶長18年(1613年)2月15日に江戸で夫に先立ったのでした。
スポンサーリンク
終わりに
以上、早川殿の生涯を駆け足でたどってきました。
落ちぶれていく氏真に寄り添い続けたその姿は、戦国随一のおしどり夫婦として今もファンから愛されています。
早川殿は一女四男(吉良義定室、今川範以、品川高久、西尾安信、澄存)を生み、それぞれ今川の誇りと血脈を後世へ受け継ぎました。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では志田未来さんがどんな夫婦愛を見せてくれるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
- 黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院』平凡社、2017年12月
- 戦国人名辞典編集委員会編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年12月
スポンサーリンク
コメント