徳川家康(演:松本潤)と言えば、人質の身分から天下人にまで勝ち上がった英傑として、知らない日本人はまずいないでしょう。
でも、それは結果を知っている後世の視点であって、人質だった当時は落ちぶれた弱小大名のせがれに過ぎませんでした。
かつて西三河を制圧した偉大なる祖父・松平清康(まつだいら きよやす)が暗殺されていなければ、こんな惨めな思いはしなかっただろうに……人々は哀れみをもって竹千代(家康)少年を見ていたようです。
しかし竹千代少年はそんな視線をはね飛ばすようなたくましさを持っていたのでした。
御座をたちて縁先に立せられ……
天文廿年正月元日今川が館におはしませしとき。かの家臣等義元が前に列座して拝賀す。 君いとけなくてそが中におはしますをいづれもあやしみ。いかなる人の子ならんといふに。 松平清康が孫なりといふ者あれど信ずる者なし。其時 君御座をたちて縁先に立せられ。なにげなく便溺し給ふに。自若として羞怎のさまおはしまさず。これにより衆人驚嘆せしとぞ。(紀年録。)
※『東照宮御実紀附録』巻一
時は天文20年(1551年)の元日。今川義元(演:野村萬斎)の館に家臣たちが新年のあいさつにやって来ました。
そんな中、竹千代(演:川口和空。当時9歳)が可愛らしく座っており、家臣たちはこれをいぶかしみます。
「何じゃ、あの童は……」
「次郎三郎(松平家代々の通称。ここでは清康)殿の孫らしいぞ」
「え、あのひょろひょろした子供が?」
皆さん、相手が子供だと思って好き放題。清康の孫だと信じてもらえないようでした。
ヒソヒソ話が耳に入った竹千代は、何も言わずに立ち上がり、縁側までスタスタ歩いていきました。やれやれ、じっと座っていることも出来ないなんて……家臣たちは忍び笑いをもらします。
悪口に耐えかねてしまったのか、それとも単に飽きてしまったのか……すると次の瞬間、竹千代は袴の前をほどいて立ち小便をかましました。
「「「すわっ、太守様の御前で何ということを!」」」
これを見ていた義元は大笑い。さすがは清康の孫に相応しき豪胆よと賞賛したということです。
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終わりに
以上、『徳川実紀』が伝える竹千代少年の立ち小便エピソードでした。
幼いながらに意地を張り、衆人環視の中であえてブチかます肝っ玉は、まさに三河武士の鑑だったと言えるでしょう。
そんな竹千代を義元はこよなく愛し、これは末頼もしいと惜しみなく英才教育を施したのです。
NHK大河ドラマ「どうする家康」ではほとんど割愛されてしまった少年時代ですが、他にもたくさんエピソードがあるので、また紹介したいと思います。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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