公任の妻 敏子(としこ)
柳生 みゆ(やぎゅう・みゆ)藤原公任の妻。62代・村上天皇の第五皇子である昭平親王(あきひらしんのう)の娘。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
藤原道長やまひろ(紫式部)が結婚し、子供も生まれているのに、周囲の人々にはあまりそうした気配が見られません。
と思っていたらチラホラ登場してきたので、今回は藤原公任の妻・敏子(藤原定頼母、昭平親王女)について紹介したいと思います。
敏子の本名は不明
敏子という名前は大河ドラマの創作で、彼女の実名を記した文献は今のところ見つかっていません。
が、今回は便宜上「敏子」で統一しておきましょう。
敏子は生没年不詳、父親は昭平親王(あきひらしんのう。村上天皇の第五皇子)、母親は藤原高光女(たかみつの娘)です。
※親王の娘だから女王、劇中では敏子女王と呼ばれるのでしょうか。
やがて藤原道兼の養女に出された敏子は藤原公任と結婚しました。
長徳元年(995年)に嫡男の藤原定頼(さだより)を産んだため、後世の人々は彼女を藤原定頼母と呼びます。そのまんまですね。
また娘(実名不詳)も産んでおり、彼女は藤原遵子(円融院皇后)の養女となっています。
後に出家し、尼上(あまのうえ)と呼ばれました。
女流歌人として活躍
敏子は和歌にも秀でており、その作品は『後拾遺和歌集(平安時代)』と『玉葉和歌集(鎌倉時代)』に1首ずつ採録されています。
あたにかく おつとおもひし うはたまの かみこそなかき かたみなりけれ
(あだにかく 落つと思ひし むばたまの 髪こそ長き 形見なりけれ)※『後拾遺和歌集』巻十 哀傷 563
【備考】治安3年(1023年)3月27日に娘が急逝し、四十九日に遺髪を見つけて詠んだもの。
わかれにし ひとをかくても みてしかな ほとへてかへる たまもありけり
(別れにし 人に代へても 見てしがな ほど経てかへる 玉もありけり)※『玉葉和歌集』巻十七 雑四 2376
【備考】なくしていた娘の数珠を再び見つけた。この数珠(たま)を娘の魂(たま)に代えたいと嘆いたもの。
敏子(藤原定頼母)基本データ
生没:生没年不詳
両親:昭平親王/藤原高光女
養父:藤原道兼
兄弟:なし
養兄弟:藤原福足君、藤原尊子、藤原兼隆、藤原兼綱、藤原兼信、二条殿御方、典侍
別名:昭平親王女、尼上
伴侶:藤原公任
子女:藤原定頼、娘(藤原遵子養女)
【略系図】
……村上天皇-昭平親王-藤原定頼母-藤原定頼-藤原経家-藤原公定-藤原公通-藤原公禅……※『尊卑分脈』など
終わりに
今回は藤原公任の妻・敏子(藤原定頼母、尼上)について紹介してきました。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、柳生みゆがどんな女性を演じてくれるのでしょうか。
今から楽しみですね!
※参考文献:
- 角田文衛『紫式部伝 その生涯と『源氏物語』源氏物語千年紀記念』法蔵館、2007年1月
- 山川宏之「『栄花物語』正編における非御堂関白系哀傷歌の存在意義-小野宮家関連哀傷歌を中心に-」
- 和歌集データベース
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