NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?
本作の準主人公である藤原道長(榎本佑)。その母親である藤原時姫(三石琴乃)は、第1回放送「約束の月」のみの登場でした。
道長の母
時姫(ときひめ)
三石 琴乃(みついし・ことの)道長の母。兼家の嫡妻。出世街道を突き進む夫を支えつつ、とりわけ三兄弟の行く末を思い、見守っている。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
劇中では優しさと厳しさを兼ね備えた女性として演じられていましたが、実際はどうだったのでしょうか。
今回は藤原時姫の生涯をたどってみたいと思います。
五人の子供たちを生む
藤原時姫は藤原中正(なかまさ)の娘として誕生。生年は分かっていません。
長男の藤原道隆(井浦新)を天暦7年(953年)に生んでいることから、その時点で20歳前後と仮定した場合、時姫の生年は承平3年(933年)ごろと考えられます。
成長した時姫は藤原兼家(段田安則)と結婚。兼家の正室として、以下の子供たちを生みました。
- 長男:藤原道隆・天暦7年(953年)誕生
- 長女:藤原超子・天暦8年(954年)ごろ誕生?
- 三男:藤原道兼・応和元年(961年)誕生
- 三女:藤原詮子・応和2年(962年)誕生
- 五男:藤原道長・康保3年(966年)誕生
藤原超子(ちょうし/とおこ。登場せず)は冷泉天皇(れいぜい。登場せず)の中宮として居貞親王(三条天皇。木村達成)を出産、藤原詮子(吉田羊)は円融天皇(坂東巳之助)の中宮として懐仁親王(一条天皇。塩野瑛久)を出産しています。
藤原道隆・藤原道兼(玉置玲央)・藤原道長については、また改めて紹介しましょう。
道綱母との確執?
兼家の正室として認識されている時姫。
しかし一説には藤原寧子(藤原道綱母。財前直見)が兼家の正室だった?とも言われ、本人もそうあるべき(少なくとも確定ではない)と思っている節がありました。
しかし彼女の嫉妬深さに辟易したのか、兼家の足は次第に遠のき、時姫との力関係は明確に開いていきます。
道綱母が記した『蜻蛉日記(かげろうにっき)』には時姫(と思われる女性)を嫉妬し、時には利用しようと図る場面も何度かありました。
例えば兼家が他の女に入れ込んでいる時に、道綱母から「共同戦線を張りませんか?(意訳)」と持ちかけられたこともあります。
しかし時姫はこれをやんわりと辞退。正室としての差を見せつけたのです。
両者の差はさらに開き、ついに道綱母は兼家と離婚したのでした。
エピローグ
かくして兼家の正室として磐石な地位を確立した時姫。しかし天元3年(980年)1月15日または1月21日に世を去ってしまいます。
死後7年の歳月を経た永延元年(987年)、孫の一条天皇(詮子と円融天皇の皇子)が即位すると、正一位を追贈されました。
子孫たちの活躍を草葉の陰から見守りながら、時姫はどう思ったのでしょうか。
終わりに
今回は藤原道長たちの母・藤原時姫について、その生涯を駆け足でたどってきました。
当時の女性にはよくある通り、その詳しい事績はよく分かっていません。
大河ドラマでもいつの間にか亡くなっていた印象ですが、また彼女の人間性を深く描いた作品も観てみたいですね。
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