令和8年(2026年)NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」主人公は豊臣秀長(羽柴秀長)、かの天下人・豊臣秀吉の弟です。
今回は秀長の正室・智雲院(ちうんいん。役名は慶/ちか)を紹介。果たして彼女はどんな女性だったのでしょうか。
謎が多い智雲院(慶)の生涯
智雲院は生没年不詳、出自や実家についても詳しいことは分かっていません。
『多聞院日記』によると天正13年(1585年)9月に秀長の「女中」が大和郡山へ移ってきたことが記録されており、この「女中」が智雲院あるいは側室ではないかと考えられています。
秀長との結婚時期は不明ですが、夫の秀長は天正19年(1591年)1月22日に先立ってしまいました。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」はここで終わりでしょう。
家族は智勝院(ちしょういん。名古屋高久女、お岩)を養女としたほか、おきく・大善院(だいぜんいん。おきくと同一人物?)の母とする説もあるそうです。
『駒井日記』では文禄3年(1594年)3月に「ちうんいん様」「大かた様」と記されています。
慶長10年(1605年)ごろに大和国添上郡内で2,000石の所領を徳川幕府から賜っていました。
元和年間(1615–1624年)には同地が天領(幕府の直轄領)となっていることから、それ以前に亡くなったと考えられるでしょう。
(※改易=所領を没収された可能性もゼロではありませんが)
智雲院・基本データ
生没:生不詳~天和年間(1615~1624年)以前没?
実名:不詳
法号:智雲院
両親:不詳
出自:不詳
伴侶:豊臣秀長(正室)
子女:不詳(おきく?大善院?)
養子:お岩(智勝院)
智雲院・略年表
- 生年不詳
- 天正13年(1585年) 『多聞院日記』に「女中」と記録される?
- 時期不詳 秀長と結婚
- 天正19年(1591年) 秀長に先立たれる
- 慶長10年(1605年)ごろ 大和国に所領2,000石を賜る
- 没年不詳
※元和年間(1615–1624年)以前と推測
終わりに
今回は羽柴秀長の正室・智雲院について、その生涯を探ってみました。
断片的にその存在が感じられるのみで、これと言った事績はほとんど伝わっていないようです。
果たして令和8年(2026年)NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、吉岡里帆がどのような生涯を演じるのでしょうか。
「私が初めて夫婦役を演じたのが太賀君でした。その時は仲の悪い夫婦だったので、今回の大河ドラマでは今度こそ『こういう夫婦っていいな』と思ってもらえる夫婦像を一緒に演じられたらと思っています」
※吉岡里帆コメント※参考:2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」池松壮亮さんら出演者4人発表
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241002/k10014598621000.html
糟糠の妻として夫を支えたり、側室との確執があったりなど、どんな展開になるのか予想してみるのも楽しいですね!
※参考文献:
- 新人物往来社 編『豊臣秀長のすべて』新人物往来社、1996年
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