令和7年(2025年)11月24日(月)、山口県山口市でトーマス・コンラン教授が講演しました。
コンラン教授は東アジア史の専門家としてアメリカ・プリンストン大学で教鞭を執り、約30年にわたり守護大名の大内氏を研究しています。
講演の中でコンラン教授は「日本史において、1465年から1551年までの87年間を『山口時代』と呼ぶべき」旨を提唱しました。
通常、その時期は室町時代後期から戦国時代と呼ばれていますが……いったい何故「山口時代」なのでしょうか?
山口は日本の中心だった?

コンラン教授はこの期間において、山口こそが日本の中心であったから、山口時代と呼ぶべきと言っています。
なぜ山口が日本の中心だったと言えるのか?にわかには受け入れられません。
山口が日本の中心だったという理由として、コンラン教授の言説から以下の要素が考えられます。
①当時、ヨーロッパで作られた世界地図では、日本の中心部に「MAGUCH(山口)」と記されている。これは日本の中心が山口であったという認識によるものだ。
②当時、訪日したポルトガル人が山口をリスボンに喩えている。いずれも人口10万人ほどの都市であり、一国の首都に比肩すると認識されていたことを示している。
③何より日本の中心であった京都は応仁の乱(1467~1477年)によって荒廃しており、山口が政治・経済・文化的に日本の中心として栄えていた。
……とのことでした。なるほど。
それでは1465年から1551年という期間の根拠は何でしょうか。
- 寛正6年(1465年):第14代当主・大内政弘が家督を継承した年。
- 天文20年(1551年):第16代当主・大内義隆が家臣の陶隆房に攻められ、自刃した年。
つまり応仁の乱を幕引きした大内政弘から下剋上によって権力の座を追われた大内義隆までの3代をもって「山口時代」と見なしているようです。
コンラン教授は昨年に書籍『KINGS IN ALL BUT NAME The Lost History of Ouchi Rule in Japan,1350-1569』を出版しました。
同書は大内氏をテーマとしており、タイトルは「名ばかりの王〜日本における大内政権の失われた歴史」という意味です。
これだと大内氏が実権を持たない名目上の君主であったような印象を受けますが、真意は逆で名目にかかわらず大内氏こそ実質的な王であったという意味になります。
「山口時代」を提唱する真意は?

だから15世紀半ばから16世紀半ばまでは「山口時代」と呼ぶべき……ということでした。皆様は、どう思われますか?
あくまで個人の感想ながら、筆者は以下の印象を持ちました。
一、外国人の認識としては、山口が日本の中心というより、玄関口のような感覚だったのではないでしょうか。
一、応仁の乱で京都が荒廃しても朝廷=皇室は依然存在しており、日本の中心は揺るぎません。
一、地方勢力の隆盛を以て「~時代」とするなら、例えば六分一殿(日本の1/6を支配)と呼ばれた山名氏や、奥州藤原氏などについても新時代を設けるのでしょうか。
一、恐らくこれは山口県民や山口市民等に対するリップサービスか、また他の意図があるかも知れません。
ちなみにAmazonで書籍『KINGS IN ALL BUT NAME The Lost History of Ouchi Rule in Japan,1350-1569』を調べると、そこには以下のような概要が紹介されていました。
1.大内氏は日本の実質的な王であった。
2.大内氏は朝鮮王朝の末裔であり、その主張は日朝両国で認められていた。
3.大内氏は東アジア・東南アジア全域との交易を通じて独自の混成文化を創造した。
4.大内氏は日本の民族的な多様化に貢献し、東アジアに交易ネットワークを構築していた。
5.日本国家は大内氏の支配する山口と、朝廷の支配する京都とに分断されていた。
6.当時の日本は、大内氏によって多様性に富んだ交易国家として繁栄していた。
※筆者による和訳・要約。
確かに大内氏は百済王の末裔と言われています。しかしまるで当時の日本国内に、皇室と別王朝が並立していたかのような表現はいかがなものでしょうか。
もしそうだとしたら、山口時代ではなく山口王朝と呼ぶべきかも知れません。
また大内氏が日本の実質的な王であったとする主張も、到底受け入れられません。大内氏がいかに権勢を誇ろうと、力を恃みに朝廷を否定すれば、平将門と同じ轍を踏むことになります。
武力による易姓革命が繰り返された大陸や半島とは異なり、日本では古くから朝廷の権威によって権力の正当性を担保する二重統治が行われてきました。
今回の「山口時代」提唱には、どうもプロパガンダが混じっているのではないかと感じられてなりません。
終わりに
今回は「山口時代」という興味深い提唱について紹介してきました。
確かに主張を聞いている分には面白いのですが、歴史分野の研究者は、往々にして「注目を浴びる≒評価を高めるために新説をひねり出す」傾向が否めません。
今後もどんどん歴史の新設や新常識が出てくるでしょうが、その一つ一つを楽しみつつも吟味していきたいものです。
【参考】

