New! アイヌが伝える北海道の国造神話

【歴人録】織田信長(小栗旬)の戯れで改名・改姓させられた赤川通盛・坂井成利とは何者?【豊臣兄弟!】

戦国時代
スポンサーリンク

名前とは、人間にとって尊厳を象徴する大切なものです。

だから一度つけた名前をおいそれと変える訳にはいきません。

しかし時の権力者によって、たやすく名前を変えられてしまう例も少なからずありました。

今回は織田信長(小栗旬)の戯れによって改名させられた赤川通盛(あかがわ みちもり)を紹介。改名にはどんな理由があったのでしょうか。

スポンサーリンク

能楽「通盛」に由来?

菊池容斎『前賢故実』より、平通盛。

赤川通盛は生年不詳、通称を三郎右衛門(さぶろうゑもん)と言いました。諱は景弘とも言われます。

武勇に優れ、『太閤記』では矢島六人衆の一人に数えられていますが、詳しいことは分かりません。

天文年間(1532〜1555年)に佐久間信盛(菅原大吉)・村井貞勝・島田秀満と連名で発給した書状が残っており、織田家中でそれなりに高い地位であったことがうかがわれます。

そんな三郎右衛門はある時、信長から戯れに「通盛」と名づけられました。

なぜ通盛なのか、それで何が面白いのかさっぱり分かりません。

推測の域を出ないものの、通盛と言えば能楽「通盛」と、そのモデルとなった平通盛(平清盛の甥)でしょうか。

幸若舞「敦盛」を好んだ信長ですから、同じ平家一門である通盛の名を家臣に授けたとしても、不思議ではありません。

ともあれ三郎右衛門は通盛と名づけられ、織田家中の者たちもそれに倣うようになりました。

赤川通盛・基本データ

●某 三郎右衛門

織田右府につかへ、右府たはむれに通盛とよぶ。これによりて人みな赤川通盛といふ。武勇のほまれあり。

※『寛政重脩諸家譜』巻第582 平氏(支流)坂井
※右府(うふ。右大臣)とは信長のこと。

  • 生没:生没年不詳
  • 両親:不詳
  • 実名:不詳(赤川景弘とも)→通盛
  • 通称:三郎右衛門
  • 主君:織田信長
  • 身分:不明(重臣クラス?)
  • 特技:武勇に優れる
  • 家紋:丸に九枚笹(くまいざさ)、井桁(いげた)

苗字まで変えられてしまう

落合芳幾「太平記英勇伝二十九 坂井右近尚政」

そんな赤川通盛には赤川成利(なりとし。通称は下総)という息子がおり、彼もまた、信長の戯れに付き合わされてしまいます。

成利は同じ織田家臣の坂井政尚(さかい まさひさ。通称は右近)と義兄弟の契りを交わしました。
あまりに仲がよかったためか、信長が言い出したのです。

「下総(成利)よ、そなたはこれより右近(政尚)と同じく坂井と名乗るがよい」

そんないきなり言われても……しかし逆らう訳にも行かず、その日から坂井を名乗りました。

その子孫は江戸時代まで続き、系図集『寛政重脩諸家譜』では坂井氏となっています。

坂井成利・基本データ

●成利 下総

右府につかへ、坂井右近政尚と兄弟の約をなす。これより右府の命をうけ坂井にあらたむ。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第582 平氏(支流)坂井

  • 生没:生年不詳〜慶長5年(1600年)没
  • 両親:赤川通盛/母親不詳
  • 通称:下総(しもうさ。下総守)
  • 改姓:赤川→坂井
  • 主君:織田信長→織田信雄→豊臣秀吉→豊臣秀頼
  • 交友:坂井政尚(義兄弟)
  • 子女:坂井成高、坂井成政

終わりに

今の呈譜に、藤原氏なりといふ。はじめ赤川を称し、成利がとき坂井にあらたむ。

……赤川某(三郎右衛門通盛)-坂井成利(下総)-坂井成政(半左衛門)-坂井成令(なりよし。五郎三郎)-坂井成将(八郎兵衛)-坂井成徳(なりよし。八郎兵衛)-坂井成務(なりちか。八郎兵衛)-坂井成安(権太郎)-坂井政宥(まさひろ。半左衛門)-坂井政富(千熊)……

※『寛政重脩諸家譜』巻第582 平氏(支流)坂井

今回は織田信長の戯れで名前や苗字を変えられてしまった赤川通盛・坂井成利父子を紹介してきました。

果たして彼らは、信長から賜った新たな名前や苗字を名誉なことと感じたのでしょうか。それとも……。

皆さんなら、どう感じられますか?

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第4輯』国立国会図書館デジタルコレクション
タイトルとURLをコピーしました