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【鎌倉殿の13人】猪野学が好演!頼朝公の窮地に手を差しのべた安西景益の活躍

大河ドラマ
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石橋山の戦い(治承4・1180年8月23日)に敗れ、海路を安房国まで逃れた源頼朝(みなもとの よりとも)公。

何とか再起を図るため、幼馴染の安西景益(あんざい かげます)に加勢を求める書状を送りました。

「おぅ三郎(景益)、来てくれたか!」

先日、乳兄弟である山内首藤経俊(やまのうちすどう つねとし)に拒絶され、石橋山では矢まで射かけられてしまった頼朝公。

乳兄弟(頼朝公)に矢を射かける経俊(イメージ)

ほとほと人間不信になりつつあった中、旧友の景益が駆けつけてくれたのは本当に嬉しかったことでしょう。

今回はそんな安西景益を紹介。窮地でこそ、友の真価が問われるものです。

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旧知の頼朝公を温かく迎え入れる

安西景益は安房国安房郡(現:千葉県鋸南市)や丸御厨(現:同南房総市)などを領する安西朝景(ともかげ)の三男として誕生しました。

父が源義朝(よしとも)に仕えていたころから子供同士も仲良しで、その跡を継いで在庁官人(国司の現地管理者)となります。

やがて海を渡ってやって来た頼朝公を迎えるため、9月4日に一族と近郷の神余(かなまり)氏、(ぬま)氏、(まる)氏らを連れて馳せ参じました。

「佐殿、昨夜は大変でしたな」「……うむ」

9月3日、頼朝公の宿所を狙って長狭六郎常伴(ながさ ろくろうつねとも)が襲撃。これを予見した三浦義澄(みうら よしずみ)が返り討ちにしています。

頼朝公を狙う長狭六郎常伴ら(イメージ)

上総介広常(かずさのすけ ひろつね)に支援を求めるおつもりでしょうが、上総への道中には長狭の如き輩が多くおりますゆえ、御自らおいでにならず迎えに来させるのがようございましょう」

「なれば、左様にいたそう」

という訳で頼朝公は安西屋敷に入り、和田義盛(わだ よしもり)を上総介広常への使者、小野田盛長(おのだ もりなが)を千葉介常胤(ちばのすけ つねたね)への使者に立てました。

その後、いざ鎌倉を目指すべく頼朝公が出立するとこれに従い、不退転の決意を示すべく館に火を放ったと言います。派手な景気づけですね。

太寧寺所蔵 源範頼肖像

平氏討伐では元暦元年(1184年)、頼朝公の異母弟である源範頼(のりより)に従って西海へ出陣、翌元暦2年(1185年)には九州・豊後国へと至りました。

武勇以外にも寿永元年(1182年)には北条政子(ほうじょう まさこ。頼朝公の正室)の安産祈願で洲崎神社へ参拝したり、建久6年(1195年)の上洛に供奉したりなど、重要な役割を務めています。

終わりに

鎌倉草創の元勲として幕府の有力御家人となった安西氏。景益の死後も房総南部に勢力を保ち、群雄割拠のすえ戦国大名の里見(さとみ)氏に臣従。

戦国時代も活躍した景益の子孫(イメージ)

そして江戸時代に入ると、一部の者が徳川家に仕える旗本としてその家名をつなぎました。

令和4年(2022年)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では猪野学さんが演じる予定の安西景益。2月13日(日)放送の第6回「悪い知らせ」に初登場、今から好演に期待ですね!

※参考文献:

  • 太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻 ア-カ』角川書店、1963年11月
  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月

コメント

  1. 南房総市民 より:

    鋸南市はありません
    安西景益は現在の南房総市丸本郷付近を本拠地にしていました

    • 歴史屋 より:

      南房総市民さま
      コメントありがとうございます。
      参考文献には安房郡鋸南市との説を示していましたが、諸説あるのですね。
      (確かに丸御厨=南房総市丸本郷を本拠地とする説もありました。両方とも治めていた可能性もありますね)
      勉強になります。

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