組織を運営する上で、公正無私な態度は基本中の基本と言えます。
しかし組織を構成するのは上下ともに人間ですから、時に私情が混じってしまうことも少なくありません。
そんな悩みは今も昔も変わらなかったようで、今回は江戸時代の武士道バイブル『葉隠(葉隠聞書)』より、佐賀藩祖・鍋島直茂と家臣のエピソードを紹介したいと思います。
無双の槍使い・横尾内蔵之丞

今は昔し、鍋島直茂の家臣に横尾内蔵之丞(よこお くらのじょう)という者がおりました。
この内蔵之丞は槍の名手で、度々武功を重ね、直茂から重用されていたそうです。
直茂はよく周囲の者に「内蔵之丞は若いころ、敵城の虎口へ乗り込み、槍働きをしていた。それはもう見事なもので、そなたにも見せてやりたい」と語っていました。
※虎口(ここう):城の入口。敵の侵入を食い止めるため守りが厳重で、虎の口に喩えられる。
※槍働き(やりばたらき):槍を用いた働き。つまり戦闘。
内蔵之丞は直茂の期待に応えようとますます奉公に励み、追腹を約束する誓紙を差し出したそうです。
追腹とは主君が亡くなった時に後を追うために切腹することで、忠義の証とされていました。
かくして主従の絆は堅く結ばれていましたが、その蜜月は永く続かなかったのです。
内蔵之丞の怒り
ある日、内蔵之丞が百姓と公事(くじ。訴訟)を起こしました。
その案件は直茂の御披露(直接裁くこと)となり、内蔵之丞は自分に肩入れしてくれることを期待したのでしょう。
しかし直茂は内蔵之丞の主張があまりに無理筋だったため、内蔵之丞の訴えを退けました。
「何ゆえにございますか!」
「何ゆえも何も……かような訴えを通す訳には参らぬ」
直茂としても内蔵之丞を贔屓してやりたいのは山々だったことでしょう。
しかし政治に私情を持ち込んだら、社会の秩序が保てません。
「よって此度ばかりは、そなたの訴えを退けざるを得なんだ。どうか解って欲しい」
直茂は苦しい胸中を明かしますが、内蔵之丞は納得しませんでした。
「あぁ、左様にございますか。それがしよりも百姓輩を大切に思われますか。そのような者が追腹を仕っては、さぞご迷惑にございましょうな!」
「いや、決して左様なことでは……」
「言い訳など結構!先だって差し上げた追腹の誓紙を、お返し頂きましょう!」
直茂は嘆息して、内蔵之丞へ誓紙を返したということです。
終わりに

五三 横尾内蔵之丞無雙の槍突にて、直茂公別けて御懇ろに召し使はれ候。月堂様へ御咄にも、「内蔵之丞が若盛りにて、虎口前の槍を其方などに見せたき事なり。誠に見物事にてありし。」と御褒美遊ばさるゝ程の者なり。内蔵之丞も、御懇ろ忝く存じ、追腹御約束誓紙差し上げ置き申し候。然る處百姓と公事を仕り、御披露あり。無理の公事にて、内蔵之丞負になりたり。その時内蔵之丞立腹致し、「百姓に思召し替へらるゝ者が追腹罷り成らず候。誓紙差し返され候様に。」と申し上げ候に付て、直茂公「一方よければ一方悪ろし。武道はよけれ共、世上知らで惜しき者なり。」と御意なされ、誓紙御返しなされ候由。
※『葉隠聞書』巻第三より
一方がよければ一方が悪いのは世の習い。武勇には優れていても、物の道理は心得ていない横尾内蔵之丞に、直茂は嘆息したのでした。
政治に私情を挟まない直茂の公正さを伝えるエピソードですが、家臣たちにもその公正さを求める難しさが分かります。
現代でも公私の狭間で悩む方が少なくないのではないでしょうか。
『葉隠』には武辺のみならず、こうした処世訓も多く伝わっているので、他にも紹介したいと思います。
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月