時は元亀3年(1572年)12月22日。いわゆる三方ヶ原の合戦で武田信玄(演:阿部寛)に惨敗を喫した徳川家康(演:松本潤)。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では金陀美具足と兜首が晒され、まさかの主人公ロスを匂わせていましたね(さすがにみんな歴史の流れを知っているでしょうから、引っかかる≒心配する人はいるのでしょうか)。
さて、実際のところ家康はどうだったのでしょうか。諸説ある中で、今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、三方ヶ原から浜松城へ逃げ帰った家康のエピソードを紹介したいと思います。
腹減った、メシ!湯漬けを三杯掻っ込むと……
……浜松に帰らせ給ひし時。けふの大敗にて城中の者ども御安否も志らざれば。大手より還御あらばさだめて恐恠しつらんとおぼしめし。わざと城溝辺を乗廻し惣懸口より入せ給ふ。植村正勝天野康景に命じて大手を守らしめ。鳥居元忠に玄默口を守らしめ。且命ぜられしは。城門は明置て後れ来るものを入るべし。その上敵近よるとも門の明しを見ば疑ひて遅疑すべし。門外四五ヶ所に燎火を焼かしめよ。さてさて埒もなき軍して残念なりと仰有て。久野といふ侍女が供せし湯漬を三度かへてめし上られ。御枕引よせ高鼾にて打ふさせ給ふ。左右の者は今日の大敗に一同人心ちもなきに。少しも驚かせ給ふことなし。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康帰濱令開放」
「やれやれ、ようやく戻って来たわい」
ボロボロで戻って来た家康は、浜松城を前に一安心。しかし……。
「まだわしの安否が確認されてなかろうから、真正面から戻ったらみんな驚くかも知れぬ」
というわけで、わざわざ城郭をぐるっと回り込んで惣懸口(そうがかりぐち)から浜松城へ入ったのでした。
「あ、殿だ!」「お帰りなさいませ!」「よくぞご無事で!」
家康の姿を見て家臣たちは安堵の涙を流したことでしょう。
「うむ。軽くひと捻りしてやったわい」
さっそく家康は家臣たちに命じ、植村正勝(うえむら まさかつ)と天野康景(あまの やすかげ)には大手門を、鳥居元忠(演:音尾琢真)には玄默口(げんもくぐち)の守りを固めさせました。
「それと、門は開け放っておけ」
「「「え?」」」
そんな事をしたら、追撃して来るであろう武田勢が城内へなだれ込んでしまうではありませんか。
「まだ後から逃げ帰……いや、凱旋してくる者も少なからずおろう。決して彼らを見捨ててはならぬ」
「しかし、敵が……」
「その時はその時。潔く戦うまでじゃ。安心せぇ、武田は城内へ攻め込んでは来ぬ」
ついでに篝火(かがりび)も盛大に焚いて、城門の周囲がよう見えるようにせぇ。家康が命じるままにすると、空っぽな城内が丸見えです。
「あ~あ。それにしても、まったく血気に逸って、しょうもない戦をしてしまったわい!」
家康は甲冑を脱ぎ捨てると、腹が減ったので侍女の久野(ひさの)に食事を頼みました。
「やっぱり戦さの後で掻っ込む湯漬けは美味いのぅ。カッカッカ……久野、お代わり!」
「はい、どうぞ」カッカッカ……「お代わり!」「はい、どうぞ」カッカッカ……とまぁそんな調子でドンブリ三杯も湯漬けを平らげました。
湯漬けとは文字通り、ご飯にお湯をかけただけのもの。何とも味気ないように思えますが、塩くらいは添えたのでしょうか。
「さぁ、食った食った。ご馳走様……いっぱい戦ったら、いっぱい食っていっぱい寝る。よい子の基本じゃな」
腹が満ちたら一眠り。家康は大文字にひっくり返って高いびきをかき始めたのです。
まったく、呑気というか肝が太いと言うか……そんな大将の姿を見ていると、家臣たちは落ち着きを取り戻し始めました。
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武田信玄、討ち取ったり!?
……かゝ所に高木九助広正。信玄が近臣大隈入道といふ容貌魁偉の者を討取りて来る。その首御覧じて。城中の人こゝおだやかならざれば。汝はこの首を太刀につらぬき。信玄を討取しといはゞ。汝が勇敢が元より衆の知所なれば。たれも真と思ひ心おちつくべしとありしかば。人々さてはとはじめて安意せしとぞ。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康帰濱令開放」
そんな中、高木九助広正(たかぎ きゅうすけひろまさ)が帰って来ました。見ると立派な面構えの坊主首を持っており、聞けば信玄の近臣で大隈入道(おおくまにゅうどう)とのこと。
「ん……おぅ九助、戻ったか」
家康は入道の首を見ると、ちょっとしたいたずらを思いつきます。
「そなた、この首を太刀で貫いて「信玄を討ち取った」と吹いて回れ。そなたの武勇は誰もが承知だから、みんな喜ぶやも知れぬ」
「やってみましょう」
広正はさっそく入道の首を太刀の先に刺して「武田大膳太夫入道信玄、この高木九助が討ち取ったり!」と浜松城内を回りました。
「本当かよ?」
「こりゃ大金星じゃな!」
「たんまり褒美に与れるのぅ!」
とか何とか、それまでいまだ動揺していた城内の空気が、次第に和らいだということです。
「よしよし……さて、二度寝するか」
まだ寝足りなかったようで、家康はまた大文字にひっくり返りました。
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ガラ空きの城は罠か?それとも……
……暮がけに甲州の馬場信房。山縣昌景城下までせめ来たりしが。御門の明しを見て昌景は。城兵よくよく狼狽せしと見えて門とづるいとまなしと見ゆ。速に攻入むといふ。信房これを制して。徳川殿は海道一とよばるゝほどの名将なれば。いかなる計策あらんも計りがたし。卒爾の事なせそとて遅々する内に。鳥居元忠。渡辺守綱打ていでければ。二人恐怖して引返しけり。その後目をさましたまひ。信玄はさだめて引き返しつらんと仰せありしが。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康帰濱令開放」
さて、戦い終わって日が暮れて、やってきたのは武田の猛将・馬場信房(ばば のぶふさ。馬場信春)と山県昌景(演:橋本さとし)。
「おい見よ。徳川の連中は、よほど慌てたのか城門すら開けっ放しではないか。ただちに攻め入ってくれようぞ!」
勇み立つ昌景を制して、信房が言いました。
「待たれよ。海道一の弓取りと呼ばれた徳川殿のこと。これはあえて隙をさらして、我らを誘い込む罠とも限らぬ。軽々に飛び込めば損害も大きかろう。軽々に攻め込んではならぬ」
両将が用心していると、まだ戦いたくてしょうがなかった鳥居元忠と渡辺守綱(演:木村昴)の軍勢が、城から飛び出してきました。
「やはり罠か!者ども、退けっ!」
警戒していたため素早く兵を退き返した武田勢。そんな事があったとも知らず、我らが神の君・家康は目を覚まして大あくび。
「ふぅん、左様なことがあったのか。じゃから申したであろう。武田は必ず引き返すとな」
これが愚かな敵であれば、迷わず突入してきて大参事だったでしょうが、名将であったがゆえに命拾いをしたのでした。
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終わりに
以上が『徳川実紀』の伝える「空城の計」エピソードでした。あえて隙を見せることで敵の警戒を誘い、却って浜松城を守り抜く家康の豪胆ぶりが伝わります。
ちなみにその夜、腹の虫が収まらない三河武士らが犀ヶ崖に夜襲を決行。大損害を与えて一矢報いてやりました。
……その夜味方犀が崖の敵の陣におしよせ鉄砲打かけしかば。武田勢大に狼狽し。さすがの信玄勝ても恐るべき敵なりとて。軍をまとめて引きとりしとぞ。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康帰濱令開放」
勝ってもただでは負けてくれない……三河武士の手強さを実感した信玄は、間もなく兵を引き揚げたということです。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、この名場面をどのように彩ってくれるのか、第17回放送「真・三方ヶ原合戦」に注目しています。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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