ついに三河一国を平定した徳川家康(演:松本潤)は、盟友・織田信長(演:岡田准一)と背中を預け合うようにして天下取りへ歩み出しました。
嫡男・松平信康(演:細田佳央太)もすくすくと成長し、信長の娘・徳姫(演:久保史緒里。五徳)と結婚します。
今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』より、その辺りのエピソードを紹介。NHK大河ドラマ「どうする家康」の予習になるかも知れません。
肝っ玉に毛でも生えているのか……信長も驚いた松平信一の武勇
……九年十二月二十九日叙爵し賜い三河守と称せられ。十年信長の息女御入輿ありて信康君御婚禮行はる。十一年正月十一日 君又左京大夫をかけ給ふ。このごろ京都には三好左京大夫義継幷にその陪臣松永弾正忠久秀反逆して。将軍義輝卿をうしなひまいらせしかば。都また乱逆兵馬の巷となる。将軍御弟南都一条院門主覚慶織田信長をたのまれ都にうつてのぼらるゝにおよび。信長よりのたのみをもて 當家よりも松平(藤井。)勘四郎信一を将として御加勢さし向給ひしに。信一近江の箕作の城攻に抜群の働きして敵味方の耳目をおどろかしければ。信長も信一小男ながら胆に毛の生たる男かなと称美し。着したる道服を脱て当座の賞とせられしとぞ……
※『東照宮御實紀』巻二 永禄七年-同十一年「永禄十一年」
時は永禄9年(1566年)12月29日、家康は朝廷より三河守に任じられ、晴れて名実ともに三河国主となりました。
明けて永禄10年(1567年)には信長の元から徳姫が信康のもとへ嫁ぎ、さらに永禄11年(1568年)には左京大夫の官職を兼任します。
さて、そんなめでたい続きの家康に対して、京都では三好義継(みよし よしつぐ)と松永久秀(まつなが ひさひで)が反逆。時の室町将軍・足利義輝(あしかが よしてる。第13代)を弑逆(しいぎゃく。とは、目上の者を殺すこと)しました。
果たして都は大混乱……信長は義輝の弟・覚慶(後の足利義昭。演:古田新太)を奉じて上洛を決意します。
「徳川殿、加勢を頼めるか」
そこで家康は大従父(祖父・松平清康の従兄弟。ただし年齢は家康の3歳上)に当たる松平信一(まつだいら のぶかず。藤井松平家、勘四郎)に軍勢を与えて派遣しました。
「この勘四郎にお任せあれ」
かつて織田との戦いや三河一向一揆の鎮圧に武勇を奮った信一は、箕作城の合戦で六角氏の軍勢を蹴散らして抜群の武功を立てます。
「まったく勘四郎殿には驚かされる。小柄な見た目に似合わず、肝っ玉に毛でも生えておるようじゃ……」
手強い敵も、味方となれば心強い……すっかり感心した信長は自分の装束を脱いで褒美に与えたということです。
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武田・徳川に攻められ、今川氏真が逃亡
六角氏を撃破すれば京都はもうすぐ。信長には天下人への足掛かりが見えてきました。一方、家康は武田信玄(演:阿部寛)と共謀して旧主・今川氏真(演:溝端淳平)を追い落とします。
かの今川氏真は日にそひ家人どもにもうとまれ背くもの多くなりゆくをみて。甲斐の武田信玄入道情なくも甥舅のちなみをすてゝ軍を出し。駿河の国はいふまでもなし。氏真が領する国郡を侵し奪はんとす。氏真いかでか是を防ぐ事を得べき。忽に城を出で砥城の山家へ迯かくれしに。朝比奈備中守泰能は心ある者にて。をのが遠江の国懸川の城へむかへとりてはごくみたり。
※『東照宮御實紀』巻二 永禄七年-同十一年「信玄滅今川氏」
かつて駿河・遠江・三河の三国を制した「海道一の弓取り」今川義元(演:野村萬斎)亡き後、今川の凋落は激しくついに滅ぼされてしまいました。
「御屋形様。何とおいたわしや……」
ほとんどの者が氏真を見捨てた中、朝比奈泰能(あさひな やすよし。備中守)は恩義を忘れず掛川城へ迎え入れ、再起を期します。
ただし泰能は弘治3年(1557年)に亡くなっており、恐らく子の朝比奈泰朝(やすとも。備中守)と混同しているのでしょう。
すっかり逆転してしまった徳川と今川の力関係。果たして氏真の復活はあるのでしょうか。この辺りがどう演じられるのか、大河ドラマ「どうする家康」に注目です。
※参考文献:
- 経済雑誌社『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
- 小和田哲男『詳細図説家康記』新人物往来社、2010年3月
- 二木謙一『徳川家康』ちくま新書、1998年1月
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