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見物料は一人百文!織田信長のシンボル安土城は、日本初のテーマパークだった?【どうする家康】

戦国時代
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「は〜い、いらっしゃい、いらっしゃい!」

「入城料金は誰でも一人百文だよ!」

「みんなキチンと並んでね、順番だからね〜!」

……いったい何事かと言えば、織田信長(おだ のぶなが)が安土城のお披露目イベントで受付&呼び込みをしているのでした。

※さすがにこんな口調ではないでしょうが、雰囲気とご理解下さい。

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そこまで見せちゃう!?太っ腹すぎる顧客サービス

イメージ(別の場所に再現した天守閣)

安土城と言えば、天衝くばかりの鯱に金箔を張った瓦屋根、極彩色に輝く八角形の楼閣がそびえ立つ天下の名城。

そんなお城の中を、もし見せてくれると言ったら、皆さんは見てみたくないですか?筆者はとても見たいです!

……当時の戦国人たちも同じように思っていたようで、そんなニーズ?を察した信長は、何と安土城の内覧会を開いたのでした。

最初は希望者を適当に入れていたようですが、これが思いのほか集まり過ぎて、建設中の石垣が崩落する事故が起こった程です。

もちろん死傷者も出てしまい、信長は対策として入場客を分割しました。

まずは家臣たち、次に他国衆、そして領民たち……え、いいんですか?

そもそも城と言うのは軍事拠点であり、城主にとって自分の身を守る最後の恃み。とうぜん機密事項(例えば武具や備蓄の配置、攻める上での弱点、そして緊急脱出経路など)がてんこ盛りです。

それを全てではなかったにせよ開けっぴろげに見せてしまうのは、あまりに無防備というより「ここまで攻めて来られるものなら来るがよい」という自信の表れだったのでしょう。

ご満悦の信長(イメージ)

あるいは単純に「どうだ、凄いだろう。天下人に相応しい城であろう?」とひけらかしたかったのかも知れません。どっちも信長らしいですね。

天皇陛下をお迎えする御幸の間まで公開したそうで、見物客はさぞかし恐れ入ったことでしょう。

これだけ人気があるなら、入城料金を取れば一儲けできる……経済感覚に優れていた信長らしい商才と、自分で受付に立つお茶目な一面。

「安土城見物に言ったら、受付に信長がいて驚いた」みたいな当時の日記が発見されることを期待しています。

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終わりに

なお、金ぴかの瓦葺きは織田一門のみ許されたとか(イメージ)

天下人でありながら商売人であり、エンターテイナーとしても素質を輝かせた信長。

人々の好奇心を察知してそのニーズを満たし、事業として利益を産み出した安土城は、日本初のテーマパークだったのかも知れませんね。

ちなみに当時の一文は現代の貨幣価値でおよそ50円(諸説あり)。かける100文で5,000円ですから、確かにテーマパークっぽい価格感です。

織田信長ならぬ織田園長(そのなが/えんちょう)の受付姿、NHK大河ドラマ「どうする家康」でも見られたら楽しいですね!

※参考文献:

  • 武田知弘『「桶狭間」は経済戦争だった 戦国史の謎は「経済」で解ける』青春出版社、2014年6月

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