幕末維新の余韻も冷めやらぬ明治時代、新生日本を創り上げた元勲の一人・大隈重信(おおくま しげのぶ)。
絶賛放送中の大河ドラマ「青天を衝け」では主人公の渋沢栄一(しぶさわ えいいち)を明治政府に誘うキーパーソンの一人となる彼ですが、その個性を強く印象づけるのが「である」の口癖。
「俺は渋沢君に(一部聞き取り不能)。日本をつくる場に、立ってほしいので、あーる!」
※大河ドラマ「青天を衝け」より
本当にこんな言い回しをしていたのでしょうか。
今回はそんな大隈重信の口癖「である」と、せっかくなのでこの「である」の成り立ちについて調べ、紹介したいと思います。
であるんであるんである!大隈重信かく語りき
大隈重信は豊かな弁舌の才能に恵まれ、何かにつけて議論や演説を好みました。
口を開けばたいてい「我輩(わがはい)は……」に始まり、「……であるんである(~であるのである)」と締めくくったと言います。
「我輩は……猫ではなく、人間で、あるんで、ある!」
時には勢い余ったのか、それともよほど強調したかったのか「……であるんであるんである」と繰り返す言い回しも目立ったそうです。
もしくは大事なことだから、2回繰り返したかったのでしょうか。
(本当はもっともっと話したいけれど、とりあえずはいったん我慢して、相手に発言を譲らなくては……)
もしかしたら、そんな葛藤が舌をすべらせた結果なのかも知れません。
「我輩が舌をすべらせるなど……そのようなヘマは打たないので、あるんで、あるんである!」
何だか聞いていて面白くなって来ますが、きっと大隈さん本人はいたって大真面目でしょう。
だから、もし彼と議論になった時は真面目に聞いてあげて下さいね。
「にてあり」⇒「であり」「である」
そんな大隈重信の口癖「である」ですが、先ほどもじった夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』のように、明治時代以降に使われだした印象です。
この「である」の由来については諸説ありますが、その一説に「~にてあり(例:お健やかにてあり)」が縮まって「であり」、更に変化して「である」となったと考えられています。
「である。」と文章をバッサリ切れるようになったため、従来なら「お健やかにてありけり」などつなげていた言葉を「お健やかである」と短縮。
「イヌである」「ヤカンである」「マクラである」などシンプルな言い切りができて便利な一方、どこかぞんざいでぶっきらぼうな印象を与え、使われ始めた当時はあまりよく思われていなかったようです。
「まったく、近ごろの若い者と来たら、すぐに新しい言葉を使いたがる……ブツブツ」
しかし、この断言調は話し手の自信≒根拠を裏づけて信頼を与える効果もあり、今日では公的な文書は「です、ます調」ではなく「である調」で書かれることが多いです。
ちなみに「です」の由来は「~にて候(そうろう)」の内「てそ」が訛って「です」となり、「ます」については「申す(もうす、まをす)」が訛ったと言います。
どちらも省略的であるため、やはり当初はぞんざいな言葉とみなされたようです。
身近な言葉ひとつとってみても永い歴史の中で移り変わり、定着して今ではすっかりなじんでいることを思うと、他の言葉にも興味が出てきますね。
※参考文献:
- エピソード大隈重信編集委員会『エピソード大隈重信 125話』早稲田大学出版部、1989年7月
- 山口仲美『日本語の歴史』岩波新書、2006年5月
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