「実は今まで黙っていたが……わしはそなたを誰よりも恃みにしておる」
かつて挙兵を前に、御家人たちを一人々々呼び出しては片っ端から告白した源頼朝(みなもとの よりとも)。
このエピソードは鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に載っていることから、頼朝のあざとさは御家人たちにバレていたようです。
それでも憎めない魅力を持っていればこそ、天下草創の偉業を成し遂げられたのですが、そんな頼朝の資質は息子にも受け継がれていたのかも知れません。
今回の主人公は頼朝の次男で鎌倉幕府の第3代将軍となった源実朝(さねとも)。果たして彼はどんな手口で?御家人たちを誑し込んだ(言い方)のでしょうか。
「この梅を、誰に見せようか」朝盛が届けた相手は?
時は建暦2年(1212年)2月1日。明け方ごろ、実朝は側近の和田新兵衛尉朝盛(わだ しんひょうゑのじょうとももり。三郎。和田義盛の孫)を呼び出しました。
「誰にか見せん(これを、誰に見せたものだろうね)」
その手に持っているのは、美しく咲いた梅の枝。渡された朝盛は、実朝の言わんとするところを察します。
「……ただちに」
この梅を誰に見せるべきか……つまり実朝は「私がこの梅を見せたいと思っているか、当ててごらん」とメッセージを発したのです。
本来なら、誰に届けるのか確認してから出かけるべきですが、朝盛はあえて実朝の酔狂につき合うことにしました。
「それと、私が贈ったことを言ってはいけないよ。相手にも当てっこにつき合ってもらいたい」
「御意」
差出人不明の贈り物なんて、相手も受け取りを躊躇してしまいそうですが、それが許されたのだから実に大らかな時代です。
「さぁ、三郎は誰に届けてくれるのかな?」
愉快げに待っていると、程なくして朝盛が戻ってきました。
「して、誰に届けた?」
「は。塩谷殿の元へ」
塩谷兵衛尉朝業(しおのや ひょうゑのじょうともなり)。かねてより和歌を通じて絆を深めていた御家人の一人です。
「でかした(大正解)!」
すると噂をすれば何とやら、朝業からの使者が御所へ到着します。
「我が主が、これを御所(将軍=実朝様)へと」
文を開くと、そこには一首の和歌が詠まれていました。
うれしさも 匂も袖に 余りけり
我がため折れる 梅の初花【意訳】嬉しさと梅の香りがあふれて(袖に余って)、両手に抱きしめ切れません。私のために、こんな素敵な梅の枝を贈って下さるなんて!
まるで恋人から贈られたような喜びようですが、こんな素敵な贈り物をしてくれるのは、実朝様以外にあり得ない!と絆を確信しているのが凄いです。
さらには朝も早よから贈り物をされて、咄嗟にこんな気の利いた和歌を詠んで返せるなんて、よほど平素から素養を培ってきたことが察せられます。
「こんなやりとりで通じ合うことができるのは、数多の御家人がいる中でそなた一人だよ」
実朝のそんなメッセージを感じ取り、朝業はいたく感動したことでしょう。
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終わりに
未明。將軍家以和田新兵衛尉朝盛爲御使。被送遣梅花一枝於塩谷兵衛尉朝業。此間仰云。不名謁たれにか見せんと許云て。不聞御返事可歸參云々。朝盛不違御旨。即走參。朝業追奉一首和歌。
うれしさも匂も袖に餘りけり我爲おれる梅の初花【意訳】未明、実朝が和田朝盛を使いに出した。一枝の梅を持たせたが、宛先を言わず「たれにか見せん」とばかり言って。果たして朝盛は塩谷朝業の元へ梅を届け、返事を聞かずに帰ってきた。実朝の期待を裏切らない行動であった。やがて朝業の使者が訪れ、一首の和歌を献上したのであった……。
※文中に「被送遣梅花一枝於塩谷兵衛尉朝業(塩谷兵衛尉朝業において梅花一枝を送り遣わさる)」とあるので、実朝が宛先だけは指定したとも解釈できます。一方で「不名謁たれにか見せんと許云て(名を挙げず『誰にか見せん』とばかり言うて)」ともあります。その後に「朝盛不違御旨(朝盛は実朝の意にたがわなかった)」とあるのは、宛先を言わなかったのにもかかわらず実朝の真意を理解できていたためとここでは解釈しました。
※『吾妻鏡』建暦2年(1212年)2月1日条
以上、実朝らしくとても優雅な「そなただけ」メッセージを贈ったエピソードを紹介しました。
改めて読みなおすと、未明という時間は非常識ながら「こんな時間だけど、すぐにでも届けたかった」という思いの強さを演出したのかも知れません。
果たして他の御家人たちにもこれほどのアプローチをしていたのかはともかく、実朝もまた頼朝が持っていた「人たらし」の才能を持っていたことが判ります。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では尺の都合でたぶん割愛されてしまうでしょうが、和歌を通じて育まれる主従の絆を堪能出来たら嬉しいです!
※参考文献:
- 菊池威雄『鎌倉武士の和歌 雅のシルエットと鮮烈な魂』新典社、2021年10月
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