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妻に暴行した犯人を夫が仇討ち。事件に対する北条泰時のコメントがこちら【鎌倉殿の13人】

鎌倉時代
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皆さんは、もし自分の家族が理不尽に危害を加えられたら、どうしますか?

恐らくほとんどの方は、何かしら(可能な限り合法)の報復手段を講じるのではないでしょうか。

そんな心情は時代を越えて変わらぬもので、今も昔も仇討ちものが好まれるのはそのためです。

しかし当局の判断は必ずしも被害者に同情的ではなく、むしろ加害者に肩入れする事さえありました。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では坂口健太郎さんが演じる北条泰時。公式サイトより

今回は鎌倉幕府の第3代執権として活躍した北条泰時(ほうじょう やすとき)を紹介。

後世「天下の名宰相」として賞賛された彼は、果たしてどんなコメントを発したのでしょうか。

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京都で起こった婦女暴行・殺人事件

晴。風烈。佐々木左衛門尉廣綱飛脚自京都參着。申云。去月廿九日白晝。於六條万里小路。若狹前司保季犯掃部入道郎等吉田右馬允親淸之妻。親淸自六波羅歸之處。有此事。即取太刀追之。入于六條南。万里小路西。九條面平門之内斬伏之。其後。彼男來廣綱之許。而号攝津權守入道者奔來。稱傍輩請取之處。依使廳召。欲渡廷尉方之間。策駿馬逐電畢。仍尋其前途之刻。攝津權守又不知行方。保季父少輔入道ゝゝ。就訴申。頻有其召。定遁下東國歟之由。廻推察。兼以言上云々。此保季。容顏花麗。不異潘安仁。被斬殺之時。僅所令着之小袖襷頚邊。顯其身。觀者如堵。皆拭悲涙云々。

※『吾妻鏡』正治2年(1200年)4月8日条

時は正治2年(1200年)4月8日、京都在勤の御家人・佐々木広綱(ささき ひろつな。左衛門尉)より使者が到着しました。

報告によると3月29日の昼間、若狭前司こと藤原保季(ふじわらの やすすえ)という公家が吉田右馬允親清(よしだ うまのじょうちかきよ)の妻を暴行したと言うのです。

この吉田右馬允は中原親能(なかはら ちかよし)の郎従として六波羅に務めており、帰宅してこの事件を知らされました。

「ふざけやがって!」

たとえ相手がどんなに偉かろうと、妻を力づくで手籠めにするなど決して許されることではありません。親清は太刀をとって殴り込み、保季を斬り殺します。

とは言え、どんな事情があろうと殺人は殺人。親清は逃げも隠れもせず佐々木広綱の元へ自首したのでした。

するとそこへ、摂津権守入道(せっつごんのかみにゅうどう)なる者がやって来て親清の身柄を引き渡すように要求します。

駆けつけた摂津権守入道。何か様子が怪しい?(イメージ)

「厳命により、右馬允の身柄を引き渡されたし」

「いかなる職権をもって申されるか」

広綱が戸惑っていると、やがて検非違使庁の者たちが通報を受けてやってきました。

「まずい!」

摂津権守入道は馬に乗って忽ち逐電。恐らく親清と何らかの親交があり、官憲の手に引き渡すまいとしたのでしょう。

「曲者だ、追え!」

入道はどこへともなく姿をくらましてしまい、東国へ逃げた可能性もあるため鎌倉へも報告に来たということです。

一方、斬られた保季は花のように麗しい容貌(容顔花麗)で知られ、その死に顔は西晋(古代中国)の文人・潘岳(はんがく。字は安仁)に劣らなかったとか。

人々はその美しさを惜しんで悲涙を禁じえなかったと言いますが、いくら美しくても婦女暴行犯に対して同情するのもいかがなものかと考えます。

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泰時のコメントに、涙を流した大江広元

甚雨。連日降雨。還爲炎旱之瑞云々。今日。掃部頭廣元朝臣申送江馬殿云。去月令殺害若狹前司保季之男束手來。可爲何樣哉。隨御意見可披露云々。御返事云。付是非可被披露云々。江馬太郎主被仰云。爲郎從身。殺害諸院宮昇殿者。於武士又非指本意。白晝所行罪科重哉。直召進使廳。可被誅者歟云々。守宮聞此事。感嘆及落涙云々。

※『吾妻鏡』正治2年(1200年)4月10日条

「さて、いかがしたものでしょうか」

京都からの報告を受けて、大江広元(おおえ ひろもと)が江馬義時(えま よしとき。北条義時)に相談しました。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では栗原英雄さんが演じる大江広元。公式サイトより

「鎌倉殿へ御裁可を仰ぐ前に、江馬殿のご意見を伺いたい(何様たるべきや。ご意見に随い披露すべし)」

これに対して義時は「道理に照らして適切にご判断を仰ぐべきでしょう(是非につき披露さるべし)」と何とも頼りないコメント。

そんな父を歯がゆく思ったのか、近くにいた江馬太郎こと泰時が加えてコメントしました。

「吉田は(御家人でもない)郎従の分際でやんごとなきお方を殺害し、武士の風上にもおけぬ輩。そんな身の程知らずはただちに検非違使へ身柄を引き渡し、死罪とすべきでしょう」

泰時にとっては「他人の妻を暴行した罪」よりも「郎従の分際で公家を殺した罪」の方が重かったのでしょう。これを聞いた広元は感嘆して涙を流したと言います。

【読み下し】守宮(広元)このことを聞き、感嘆し落涙に及ぶとうんぬん。

この「感嘆」はポジティブ(感心してほめる意味)にもネガティブ(嘆き悲しむ意味)にも解釈できますが、果たしてどっちなのでしょうか。

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終わりに

小林清親「教導立志基 廿五 北条泰時」

ポジティブ「あぁ、太郎(泰時)殿は朝廷への礼儀をわきまえていらっしゃる。公家に逆らう武士など死罪……流石です!」

ネガティブ「確かに武士は公家に仕える身分ではあるが、妻を犯された夫の怒り、何より傷つけられた妻の心身を酌んだ判断はできないものか……」

いずれにせよ、泰時が「吉田を死罪にせよ」と言ったのは間違いなく、これだけだと「人情よりも身分制度を重視する冷血漢」に見えてしまいます。

しかし冷静に考えてみれば、いくら「妻を暴行された」とは言え、まずは事実確認を含め当局の対応が先だって然るべきです。

殺してしまったら、たとえ保季が冤罪であったとしても取り返しがつきません。

身分云々はさておき、道理なき殺人に対しては死罪をもって処断すべき。そんな泰時のキッパリとした態度に、広元は頼もしさを感じたのではないでしょうか。

彼が天下の名宰相となる日まで、その活躍を見届けていきたいものです。

※なお、吉田親清の判決については三善康信(みよし やすのぶ)が「自首してきたのだから、その分は減刑すべき」と助言し、使者を京都へ返しています。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月

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