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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」なぜ彼らが選ばれたのか?御家人たちの権力抗争を考察

大河ドラマ
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令和4年(2022年)の放送予定ながら、三谷幸喜の脚本と、主演の小栗旬をはじめ豪華なキャスト陣によって早くも注目を集めている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

鎌倉時代初期、初代将軍・源頼朝(よりとも)公の亡き跡を継いだ若き源頼家(よりいえ。頼朝公の嫡男)を補佐するために選ばれた13人の御家人たちによる群像劇ですが、その顔ぶれは以下の通り(50音順)です。

実際には13人が一堂に会することは少なく、また決定権も将軍・頼家にあったと言われる(イメージ)

足立遠元(あだち とおもと。安達盛長の甥だが年長)
安達盛長(あだち もりなが)
大江広元(おおえ ひろもと。中原親能の弟)
梶原景時(かじわら かげとき)
中原親能(なかはら ちかよし)
二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)
八田知家(はった ともいえ。一説に頼朝公の異母弟)
比企能員(ひき よしかず。頼家の舅)
北条時政(ほうじょう ときまさ。頼家の祖父で、義時の父)
北条義時(ほうじょう よしとき。頼家の叔父で、大河ドラマの主人公)
三浦義澄(みうら よしずみ。和田義盛の叔父)
三善康信(みよし やすのぶ)
和田義盛(わだ よしもり)

特に興味がなければ「ふーん、そうなんだ」程度の単なる氏名の羅列に過ぎませんが、ちょっと考えてみると疑問が湧いてくるかも知れません。

そこで今回は、この「鎌倉殿の13人」について「どうしてこのメンバーが選ばれたのか」あるいは「(もっと相応しいと思える)このメンバーは選ばれなかったのか」について考察してみたいと思います。

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「鎌倉殿の13人」のメンバー構成に見る、各勢力のパワーバランス

まず、鎌倉殿の13人が、それぞれどのような背景を持っているのか、ざっくりまとめてみましょう(カッコ内は出身国と、頼朝公没時点の年齢)。

【頼朝公の父・源義朝の時代から仕えていた宿老】
足立遠元(武蔵国。70歳前後)
八田知家(常陸国。58歳)

【頼朝公の流人時代からのメンバー】
安達盛長(武蔵国。65歳)
北条時政(伊豆国。62歳)
北条義時(伊豆国。37歳)
三善康信(山城国。60歳)

【頼朝公の挙兵に応じた御家人】
比企能員(武蔵国。50代?)
三浦義澄(相模国。73歳)
和田義盛(相模国。53歳)

【頼朝公の挙兵後に帰服】
梶原景時(相模国。60歳?)

【京都から派遣された?ブレーンたち】
大江広元(52歳)
中原親能(57歳)
二階堂行政(不明。50~60代?)

年代で分けると、50代が4~6名、60代が4~6名、70代が1~2名、そして40代以下が義時一人という、何だか過疎地域の町内会役員みたいな構成となっています。

地域で分けると地元・関東(伊豆国を含む)の武士団が9名に対してそれ以外(主に京都からのブレーン集団)が4名、関東の内訳は伊豆国が2名、相模国が3名、武蔵国が3名、そして常陸国が1名となっています。

鎌倉殿の13人の一人・三浦義澄。菊池容斎『前賢故実』

武士団の勢力を見ると、将軍家の姻族である北条父子と比企能員がせめぎ合い、相模国では三浦一族(義澄、義盛)と鎌倉一族(梶原景時)が百年来の対立を継続していました。

残る足立、安達、八田については政権掌握の野心がなく、各勢力の仲裁役(バランサー)として入れられたようです。

※ブレーンたちは独自の軍事力を持っていないに等しいため、真っ向から旗色を鮮明にするのは得策ではなく、どの勢力ともほどよい距離感を保ったと考えられます。

新将軍・頼家を擁する比企一族の台頭を抑え、自分たちの地位を守るべく前将軍・頼朝公ゆかりの北条一族が、若い頼家を補佐する名目で合議制を導入。その人選には「少なくとも一丸となって自分たちに敵対することはない(であろう)」力関係のバランスに苦慮したことでしょう。

選ばれなかった「頼もしくも御しがたい」者たち

そう考えると、彼らよりも適任と思われる有力な御家人が「鎌倉殿の13人」に加えられなかったのも、解るような気がします。

挙兵以来の元勲である千葉常胤(ちば つねたね)父子や佐々木(ささき)四兄弟、強さと公正さを兼ね備え、鎌倉武士の鑑と称えられた畠山重忠(はたけやま しげただ)に頼朝公から寵愛された人格者・結城朝光(ゆうき ともみつ)などなど……北条一族にとっては「頼もしくも御しがたい」実力者揃いであったのがその理由でしょう。

政争に巻き込まれ、粛清されてしまった重忠。月岡芳年「芳年武者无類 畠山庄司重忠」

(もちろん「鎌倉殿の13人」メンバーが与しやすかったという訳ではなく、対立勢力との兼ね合いで入れる・入れないが話し合われたものと考えられます)

ちなみに、合議制と言っても別に鎌倉幕府が処理すべき案件ごとに13人全員が集まって将軍の代わりに決定を下した訳ではなく、あくまでも決定権は将軍である頼家にあり、13人の中から数名に対して諮問する制度だったようです。

終わりに

頼朝公の死と共に、鎌倉幕府の終わりは始まっていたのかも知れない。

鎌倉草創の偉大なるカリスマ・頼朝公を喪ったことで、それまで一つにまとまっていた鎌倉幕府は次第に内部分裂を起こしていきます。

そんな政治抗争の舞台に躍り出た13人の繰り広げる暗闘がどのように描かれるのか。今から大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が楽しみですね!

※参考文献:
石井清文『鎌倉幕府連署制の研究』岩田書院、2020年3月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月

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