日本で初めて独自の年号が使われるようになったのは大化元年(645年)、それから令和(2019年~現在)に至るまで独立国家の象徴として年号を使い続けていますが、朝廷とは別に非公認の私年号(しねんごう)を用いる者もいました。
本来、年号を決めるのは朝廷の権限ですから、公共に対する虚偽や、朝廷に対する僭越(せんえつ。越権)の意味をもって「偽年号(ぎねんごう)」「僭年号(せんねんごう)」などとも呼ばれます。
日本では古代から私年号が多く使われていたようで、その数はざっと100以上(諸説あり)。古いものでは紀元前からとも言われますが、これは後世の創作である可能性も否定できません。
また、近世~近現代にも私年号は使われ、時代や状況によって様々なメッセージが込められてきました。
今回はそんな私年号の中から、特に面白いものをピックアップしていきたいと思います。
法興(ほうこう)
期間:崇峻天皇4年(591年)~推古天皇31年(623年)の32年間
出典:『伊予国風土記』逸文など
伊予国(現:愛媛県)において長年使われていたことが、その歴史や地理についてまとめた『伊予国風土記』に記録されています。
このころ、蘇我馬子(そがの うまこ)が開基となって創建した蘇我氏の菩提寺・法興寺(ほうこうじ。後の飛鳥寺、現:奈良県高市郡明日香村)と深く関係しているものと思われますが、詳細は不明。
また、法隆寺(ほうりゅうじ。現:奈良県生駒郡斑鳩町)の本尊である釈迦三尊像の銘にもこの年号が使われており、この仏像に伊予国との深い縁を感じます。
「これから、み仏の教え(仏法)が盛んに興る、日本はきっとよくなっていく!」
当時の人々が、そんな希望を胸に抱いていたことが察せられますね。
白鳳(はくほう)
期間:斉明天皇、天智天皇、天武天皇(複数回)
出典:『扶桑略記』『古語拾遺』など
当時、斉明天皇が用いていた年号・白雉(はくち。650年~654年)の誤記か、あるいは美称(美しい別名。雉はキジ、鳳はフェニックス)と考えられています。
歴史の授業で「白鳳文化」と習った記憶があり、私年号でありながら市民権を得ている(むしろこっちの方が有名な)珍しい例と言えるでしょう。
続く(と言っても、しばらくブランクがありますが)元号である朱鳥(しゅちょう。686年のみ)も美称である朱雀(すざく。これもフェニックス)という年号が用いられていました。
治承(じしょう)
期間:養和元年(1181年)~寿永2年(1183年)の2年間
治承4年(1180年)に平氏政権を討つべく源頼朝(みなもとの よりとも)が挙兵。いわゆる源平合戦において、朝廷が養和に改元しても、源氏政権ではこれを認めず、治承の年号を使い続けました。
その後、寿永(じゅえい)を経て平氏政権が滅亡する元暦2年(1185年)に再び朝廷の年号に従うようになったのでした。
日本史の中には、こういう「中央政権に納得行かない」者たちが従来の年号を使い続ける形で反抗の姿勢を示すことが間々あります。
弥勒(みろく)
期間:永正3年(1506年)~永正6年(1509年)の3年間
出典:香取神宮『録司代家文書(ろくじだいけもんじょ。香取文書)』など
天下が大いに乱れた戦国時代、弥勒菩薩(みろくぼさつ)による安らかな世を求めて関東各地で用いられたようです。
その後3年間で世の中が平和になった様子はないため、(一向一揆や紅巾の乱などの)宗教蜂起に発展することを懸念した当局によって使用を規制・弾圧されていったものと考えられます。
古代より兵乱の絶えなかった関東地方なればこその私年号とも言えそうですね。
延寿(えんじゅ)・大政(たいせい)
期間:慶応4年(1868年)当年限り
出典:『中外新聞』『蜂須賀家文書』など
時は幕末、新政府軍に抵抗するために結成された奥羽列藩同盟(おうう れっぱんどうめい)が用いた私年号。
延寿とは、幕府の滅亡を認めない、あるいはその復活を願っているのか、そして大政とは「幕府だ官軍だと争っていないで、政治の大義を取り戻すべき」という思いが込められているのでしょう。
しかし、新政府が新たに「明治」と改元するや、一気に世が改まったことを全国民が実感したのか、抵抗の機運も立ち消えてしまいました。
自由自治(じゆうじち)
期間:明治17年(1884年)~当年限り
出典:秩父事件の供述調書など
自由民権運動の影響によって起こった農民一揆「秩父事件」において、政治団体・秩父困民党(ちちぶ こんみんとう)員が使っていたとされる私年号。
「この決起をもって、本年を自由自治元年とする!」
官吏の圧政に追い詰められた人々が、決死の思いで立ち上がり、この年号に希望を託したことでしょうが、あえなく鎮圧されてしまったことは後世知られる通りです。
核時代(かくじだい)
期間:昭和20年(1945年)~継続中(令和3・2021年時点で76年)
出典:晩聲社
昭和20年(1945年)8月6日、広島に原爆が落とされたことにより、「核兵器の時代」が始まったとして昭和62年(1897年)から提唱されました。
ちなみに昭和20年(1945年)は核時代ゼロ年とされ、これは爆心地を意味するグラウンド・ゼロを意識したものと思われます。
核時代なんて早く終わって欲しいものですが、それには核兵器以上の兵器が登場するのが歴史の習い。人間の業は尽きないものです。
終わりに
以上、日本の私年号について駆け足でピックアップして来ましたが、長い短いこそあれ、それぞれに込められた(主として中央政権に対する屈折した)思いは同じ。
「これから、日本がよくなってほしい!」
日本人であれば一天万乗の皇室を奉戴し、その定められた元号と共に生きていくのは当然としても、先人たちの思いもまた、尊重していきたいものですね。
※参考文献:
久保常晴『日本私年号の研究』吉川弘文館、2012年2月
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