よくおとぎ話なんかで「舞踏会に着ていくドレスがない」などとヒロインが嘆いているシーンを見かけます。
一方、ヒロイン方をお迎えするスタッフ側も悩みは同じ。やんごとなき感を演出……もとい威儀を正すためには然るべき服装が求められ、それが日々の食い扶持に大きく影響しました。
今回は平安時代、職場の服装コードに抵触してしまった下級官人のエピソードを紹介したいと思います。
束帯を用意できなかった茨田為弘
時は長元元年(1028年)11月、後一条天皇が豊明節会(とよあかりのせちえ)を催されました。豊明節会とは天皇陛下が即位されて初めての新嘗祭(大嘗祭)が終わった後の祝宴です。
さて、ここに茨田為弘(まんだの ためひろ)という下級官人がおりました。彼は左近衛府で府生(ふしょう。雑務係)を務めており、この日は膝突(ひざつき)を敷く役目を負っています。
膝突とは神事に際して拝礼する時、装束が汚れないよう地面に敷くもの。やんごとなき方の拝礼をサポートする重要なお役目です。
さぁ、粗相のないよう頑張ろう。いざ神事に臨もうとしたその時、為弘を咎める者がありました。いつも口うるさ……もとい朝廷のご意見番として活躍していた藤原実資(ふじわらの さねすけ)でした。
「その方、何を着ておるか!」
その日、為弘が着ていたのは布袴(ほうこ)。フォーマルな束帯が変化したもので、カジュアルという程ではないけど、厳粛な儀式に相応しいかと言われるとちょっと微妙……と言った装束。
「いやあの、すみません。これしか手に入らなかったもので……」
現代と違って、おカネ(代価)を払えばすぐに衣服が手に入る訳でもなく、貧乏な下級官人にしてはこれでもかなり頑張った方でしょう。しかし、そんな事情を斟酌してやる実資ではありません。
「うるさい!ハレの場には束帯と決まっておろうが、そなたのせいで台無しじゃ。誰か、この痴れ者をつまみ出せ!」
「そんな殺生な、頑張って用意したのに。お待ち下され、どうか……あぁっ!」
可哀想に、為弘は会場からつまみ出されてしまいました。こうなったら諦めて帰るよりありませんが、上流の貴族たちとコネを作ったり、あわよくばお小遣いにありついたりするチャンスを逃してしまったのでした。
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終わりに
とまぁこんな具合に、ちゃんとした装束を用意できないといいお役目にありつけず、収入が低いからますます装束に苦労してしまう悪循環。まさに「人は見た目が9割」ですね。
しかし実資も服装について口やかましく言うのであれば、粗相のないよう最低限は揃えてやればいいのに、と思ってしまいます。
現代でも華やかな場所で働くには衣装で苦労するそうですが、ここが出世の正念場と思って、衣装代をやりくりしているのでしょう。
……お疲れの出ませんように。
※参考文献:
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