むかし、をとこ、うひかうぶりして、平城(なら)の京(みやこ)、春日の里にしるよしして、狩に往にけり。……
在原業平(ありわらの なりひら)がモデルと思われる「をとこ(男、貴公子)」の一代記を描いた平安文学『伊勢物語』。
この作品がなぜ『伊勢物語』と名づけられた理由は判明しておらず、いまだに議論が尽きないようです。
今回はそんな『伊勢物語』命名にまつわる諸説を紹介。あなたは、どれだと思いますか?
(1)作者の名前説
この物語を書いたのが「伊勢」と呼ばれた人物であるとする説。
小倉百人一首に登場する女流歌人が自身で書いたか、あるいは彼女に仮託して書かれたと考えられます。
あるいは、まったく別に「伊勢」と呼ばれていた人物がいたのかも知れません。
(2)伊勢の神宮(斎宮)に由来する説
巻頭に、伊勢の神宮に奉仕する斎宮(さいくう/いつきのみや。未婚の女性皇族)に関する記事があるため、それに由来すると言うのです。
他にも作者が伊勢の神宮で誓いを立てたからなどとも言われます。
(3)伊勢人の気性風俗にかけた説
ことわざに「伊勢人は僻事(ひがごと。道理に合わないこと)す」とあり、僻事つまり不条理な人生や男女関係を描いたとする説。
また「伊勢人はあやしきものをや」という俗謡から妖しい(妖艶な、艶めいた)物語とも考えられます。
昔の伊勢人は、他国の人々からどのような目で見られていたのでしょうか。
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(4)伊勢≒男女物語説
伊勢の伊には女性、勢には男性の意味があり、妹背(いもせ。妹兄つまり妻夫)物語に由来すると考える説です。
また伊勢という文字を分解して「人の尹(いん。陰部=女性器)に生まれるは丸(がん。睾丸=男性器)が力なり」とのこと。
……少し穿ちすぎな気がしなくもないですね。
(5)えせ物語、がなまった説
令笑(えせ)とは嘲って笑う意味があり、現代の感覚では「ご笑読ください」と言ったところでしょうか。
また似非(えせ)は似て非なるもの、従来の最高傑作にあやかろうと書いてはみたが、足元にも及ばない出来を自嘲しているのかも知れません。
(逆に、従来の王朝文学とは一線を画す自負が込められている気もしますね)
終わりに
ほか様々な説があるものの、決定打に欠ける『伊勢物語』。
他にも在五物語(ざいごものがたり)や、在五中将日記(ざいごちゅうじょうにっき)など別名がありました。
みんな「主人公のモデルは在原業平に違いない」と思っていたのですね。
雅やかな中央とは別次元の世界で繰り広げられる異色の恋絵巻、その妖しさを垣間見るのも一興でしょう。
※参考文献:
- 大津有一 校注『伊勢物語』岩波文庫、2014年5月
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