大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しんでいますか?
劇中では割愛されてしまいました(紀行でちょっと紹介されました)が、羽柴秀長(仲野太賀)が初めて国持ち大名となったのは、紀伊国(和歌山県)でした。
紀伊国は古くから寺社勢力や国人勢力が割拠しており、中でも雑賀衆(さいかしゅう)や根来衆(ねごろしゅう)の存在は有名でしょう。
どちらも秀吉の紀伊攻めに立ち向かいますが、意外なことに、根来衆は元々友好的な勢力でした。
今回はそんな根来衆について紹介したいと思います。
信長とは友好関係だった根来衆

根来衆はその名が示すとおり、根来寺(和歌山県岩出市根来)を本拠地とする傭兵集団でした。
並び称されることの多い雑賀衆とともに鉄砲(火縄銃)で武装し、周辺勢力にとって驚異的な存在だったそうです。
根来衆の中には、織田信長(小栗旬)を狙撃した杉谷善住坊(すぎたに ぜんじゅうぼう)などもいました(諸説あります)が、全体的には織田政権と友好的な態度をとっていました。
例えば信長による天正5年(1577年)の紀州攻めに加勢したり、天正9年(1581年)の京都御馬揃に参加したりしています。
最初から雑賀衆とともに石山本願寺へ協力し、織豊政権(織田信長+豊臣秀吉)に反抗し続けたイメージですが、実際は違ったのですね。
逆に紀州攻めでは信長の力を借りて、日頃から対立(利権争い?)していた雑賀衆を、ここぞとばかり攻め立てたのかもしれません。
秀吉と対立して紀伊を追われる根来衆

そんな根来衆でしたが、信長が本能寺に倒れると、いささか様子が変わってきました。
織田政権をまんまと乗っ取った秀吉に対しては、非協力的というか敵対的だったようです。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康(松下洸平)に呼応して挙兵し、紀伊国から大坂へ北上して秀吉の背後を脅かしました。
そのため、秀吉は最前線の楽田城(愛知県犬山市)と大坂城を行ったり来たりさせられています。よほど根来衆の襲撃が脅威だったのでしょうね。
しかし小牧・長久手の戦いが終結すると、明けて天正13年(1585年)に秀吉は紀州攻めの兵を起こしました。
この時ばかりは、それまでいがみ合っていた雑賀衆と結託し、呉越同舟の中で奮戦します。
しかし雑賀衆の鈴木佐大夫(すずき さだゆう)が藤堂高虎(佳久創)によって謀殺されると、総大将格であった根来大善(ねごろ だいぜん)は伊勢国(三重県)へ逃げ込んで家康に仕えました。
家康に仕え、関ヶ原の最前線で活躍

徳川家臣となった根来衆は成瀬正成(なるせ まさなり)の配下に編入され、根来組(根来組同心)として内藤新宿(東京都新宿区)に配置されました。
鉄砲の名手が選抜され、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では、成瀬配下の鉄砲隊として最前線で活躍しています。
当時は鉄砲による射撃術を異能者≒忍者とみなすことがあり、伊賀組や甲賀組と同じく根来組も諜報活動に従事したと言われてきました。
ただし記録に残る限り、根来組はあくまで鉄砲隊であり、忍者としての活動は見られません。
※忍者だからすべてが謎に包まれているのだ、と言い張れなくもないでしょうが……。
終わりに

今回は秀吉の紀州攻めに立ち向かった根来衆について、その歴史を垣間見てきました。
雑賀衆との対立や呉越同舟、織豊政権との距離感や徳川家臣としての活躍など、なかなか波乱に満ちた歴史だったようです。
今年の大河ドラマにはもう出ないでしょうが、今後の登場・活躍に期待しましょう。
※参考文献:
- 宇田川武久 編『鉄砲伝来の日本史 火縄銃からライフル銃まで』吉川弘文館、2007年
- 『熊取町史紀要 第1号』熊取町教育委員会、1985年3月
- 鈴木眞哉『天下人を悩ませた異能の傭兵集団 雑賀衆・根来衆』学研、2016年02月

