愚痴など言ってもしょうがないが、言わねばやり切れないのもまた愚痴というもの。
生きていれば何かとストレスの多い世の中、出来ることが限られている以上、せめて愚痴でもこぼして発散させたいのが人情でしょう。
しかし私事ならともかく、天下公益を憂う者は、ただ愚痴に留まらず体制批判にエスカレート、身を滅ぼしてしまうことも少なくありません。
そんな手合いはいつの時代も絶えなかったようで、江戸時代の武士道バイブルとして知られる『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』にも、こんな教えがありました。
口をたしなむ者は……保身ではないその真意
一三五 少し智慧ある者は、當代を諷するものなり。災の基なり。口をたしなむ者は、善世には用ひられ、悪世には刑戮をまぬがるるものなり。
※『葉隠』第一巻より
【意訳】少しばかり知恵があると、それを基に世を諷(あてこす)るような批判を言いたくなるものだが、口は災いの元である。
余計なことを言わない者は、よい主君の下では出世し、悪い主君の下であっても理不尽な処刑を免れられるものだ。
……少しばかりの知恵で世を批判するより、口を慎んだ方が見る目のある人に用いられ、世の役に立てる上に無用のトラブルも免れられるということですね。
ちなみに刑戮(けいりく)とは刑罰によって殺戮されること、要するに処刑を指します。
しかし、それが道理と解ってはいるものの、言うは易し行うは難しというのが人の常。
かく言う『葉隠』作者(口述者)の山本常朝(やまもと じょうちょう)だって、作中の各所に世の中に対するいら立ちや不平不満を散りばめており、きっと自戒の念が込められていたことでしょう。
「まったく、どいつもこいつも解っておらぬっ!」
「まぁまぁ先生……」
能ある鷹は……とも言う通り、真の知恵者は口を慎み、世の理不尽にモノ申したという自己満足(ガス抜き、ストレス発散)ではなく、真の意味で天下のお役に立つもの。
ただし口を慎めとは言っても、決して保身のために見て見ぬフリをせよとか、悪事に加担せよと言っている訳ではありません。
とかく義憤を掻き立てる理不尽な世の中ではありますが、みだりな批判は自制して時機を待ち、ここ一番に命がけで口を開けるよう、しっかりと智恵を養いたいものです。
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、1940年4月
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