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【光る君へ】子孫は大出世!?藤原惟規の系図をたどる【尊卑分脈】

平安時代
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NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでますか?
ヒロイン・まひろ(紫式部。吉高由里子)の弟として登場する藤原惟規(高杉真宙)は、姉に比べて不出来ながら、明るくのびのびとした人柄が人気を集めているようです。

高杉真宙演じる藤原惟規。NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

そんな惟規はその後どうなるのか、子孫たちは栄えていくのか気になる方も多いのではないでしょうか。
今回は藤原惟規の子孫たちを紹介。系図集『尊卑分脈』を読んでみましょう。

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惟規の子・藤原貞軄

藤原貞軄(さだもと)

従五位下紀伊守 母陸奥守貞仲女

『尊卑分脈』「第三閑院左大臣冬嗣公六男内舎人良門子利基孫」

軄という文字は見慣れませんが、これは職の異体字。よく「もと」と読みます。

母親は正室である藤原貞仲女(さだなかの娘)。父と同じ従五位下まで昇り、紀伊守に任官しました。

惟規の孫・藤原盛綱

藤原盛綱(もりつな)

従五位下 散位 母左衛門尉平致経女

『尊卑分脈』「第三閑院左大臣冬嗣公六男内舎人良門子利基孫」

母親は平致経女(むねつねの娘)。父祖と同じく従五位下まで昇ったものの、こちらは散位(さんに)。位階だけあって官職にはつけませんでした。

位階があれば細々とは俸給が出たようですが、どうやって生活していたのかが気になりますね。

惟規の曾孫・藤原盛國

藤原盛國(もりくに)

従五位上 左馬助 母上野介源頼盛女

『尊卑分脈』「第三閑院左大臣冬嗣公六男内舎人良門子利基孫」

母親は源頼盛女(よりもりの娘)。こちらは父祖らを超えて従五位上に昇りました。

官職も左馬助(さまのすけ。馬寮の次官)を務め、何だか家運が上向いて来そうな感じですね。

惟規の玄孫・藤原邦綱

歌川国芳「豪傑八罫 兵庫夕照 平相国清盛入道浄海」

藤原邦綱(くにつな)

正二位 権大納言 母散位公長女

『尊卑分脈』「第三閑院左大臣冬嗣公六男内舎人良門子利基孫」

いきなり正二位ってどういうことですか!?

父親の従五位上から10ランクも上回る破格の出世を遂げています。

【位階・五位以上】

従五位下→従五位上(盛國)→正五位下→正五位上→従四位下→従四位上→正四位下→正四位上→従三位→正三位→従二位→正二位(邦綱)→従一位→正一位

これは時の権力者・平清盛に側近として仕えたためでした。

関白・藤原忠通の家司として頭角を現し、ついには権大納言を務めるまでに昇ります。

ちなみに母親は藤原公長女(きんながの娘)ですが、公長は散位ではなく正三位・民部卿を務めていました。

※三位と散位では、音は似てても大違いですね。

平家政権の隆盛を支えますが、源頼朝が挙兵する直前に出家。頼朝挙兵後に世を去ったのでした。

惟規の来孫・藤原重邦

藤原重邦(しげくに)
正四位下 兵衛権大甫 母法橋増仁女

『尊卑分脈』「第三閑院左大臣冬嗣公六男内舎人良門子利基孫」

母親は法橋増仁女(ほっきょう ぞうにんの娘)。法橋とは僧侶の職ですから、出家ながら妻帯していたことが分かります。

父に比べると正四位下と落ち着いており、官職は兵衛権大輔(ひょうゑごんのたいふ)を務めました。

※兵衛府に属する大輔=大夫(四五位の中級貴族)。佐(すけ。次官)に相当?

年代的に平家一門の凋落を目の当たりにした胸中は、察するに余りあります。

惟規の昆孫・藤原邦成

藤原邦成(くになり)

正五位下 宮内大甫 母不詳

『尊卑分脈』「第三閑院左大臣冬嗣公六男内舎人良門子利基孫」

母親は不明。何だか世代を追うごとに先細っていく印象ですね。

位階はジワジワ下がって正五位下、それでもまだ祖父・邦綱の威光が生きていたのかも知れません。
宮内大輔(くないのたいふ。宮内省の次官)を務めています。

『尊卑分脈』に記されているのはここまででした。

終わりに

祖先の一人・藤原冬嗣。菊池容斎『前賢故実』より

【藤原惟規・略系図】
……藤原鎌足―藤原不比等―藤原房前―藤原真楯―藤原内麻呂―藤原冬嗣―藤原良門―藤原利基―藤原兼輔―藤原雅正―藤原為時―藤原惟規

藤原惟規―藤原貞軄―藤原盛綱―藤原盛國―藤原邦綱―藤原重邦―藤原邦成……

今回は藤原惟規の系図をたどってみました(直系のみ)。

劇中では飄々としたキャラで愛される惟規ですが、これからどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
今後も楽しみですね!

※参考文献:

  • 『尊卑分脈』「第三閑院左大臣冬嗣公六男内舎人良門子利基孫」

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