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【歴人録】藤原彰子に仕えた紫式部の親友・小少将の君(福井夏)とはどんな女性?【光る君へ】

平安時代
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彰子の女房 小少将の君(こしょうしょうのきみ)
福井 夏(ふくい・なつ)

源時子(みなもとのときこ)。源倫子の姪(めい)。藤原彰子に女房として仕える。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

『源氏物語』のヒットにより文才を見出され、藤原彰子(一条天皇中宮・藤原道長長女)に出仕することとなった紫式部。

内裏には多くの女房たちが仕えており、一種のサロンを形成していました。

今回はそんな女房の一人・小少将の君を紹介。果たして彼女はどんな生涯をたどったのでしょうか。

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藤原彰子に出仕するまで

イメージ

小少将の君(源時子)は生年不詳、源時通(ときみち)の娘として誕生しました(※諸説あり)。

母親について詳しいことは分かっていませんが、同母姉に大納言の君(だいなごんのきみ)こと源廉子(れんし/やすこ)がいます。

生年は天元5年(982年)ごろと推定され、紫式部よりおよそ一回りほど年少だったそうです。

小少将の君について源時子と記した史料はなく、おそらく大河ドラマの創作でしょう。

その場合は父親(時通)の名前から時の字を使ったものと考えられます(以下は小少将の君で統一)。

小少将の君は幼いころに父親と死別し、伯父である源扶義(すけのり)の養女となりました。

なお伯母には源倫子(道長正室)がおり、藤原道長から見て姪に当たります。

やがて成長すると彰子の女房となり、小少将の君と呼ばれるようになりました。

小少将の君という女房名は、兄の源雅通(まさみち)が右近衛少将に任じられていたことに由来するそうです。

仲良しすぎる二人に、道長も苦笑い

藤原道長。『紫式部日記絵巻』より

紫式部よりも約ひと回りも年少だった小少将の君ですが、そんな年の差など気にならないほど二人は大の親友となりました。

コミュ障で人づきあいが苦手な紫式部の心を開くほど魅力的な女性だったのではないでしょうか。

また彰子サロンは上品で学識高い女性たちが集められていたので、知性や教養の面で紫式部のお眼鏡に適ったのだと考えられます。

意気投合した二人は隣同士の居住区(局・つぼね)を与えられていましたが、空間を仕切っていた几帳(きちょう)を取り払ってしまいました。

普通はいくら仲良しでも互いのプライベートは守りたいものですが、ペラペラの几帳一枚さえわずらわしいほど仲がよかったことが分かります。

そんな二人の様子を見て、内裏へやってきた道長が苦笑い。

「四六時中ふたり一緒だと、夜に男が来にくくなるのではないか?」

小少将の君「ご心配には及びません。男性なんて来なくても、私は紫の君さえいらっしゃれば満足なのです」

紫式部「私だって、小少将の君さえいらっしゃれば……ねー♪」

もう勝手にいちゃついてろとしか言えません。道長はあきれて手が出せなかったようです。

ちなみに姉である大納言の君(源廉子)については手を出され、召人(めしうど。愛人枠)を経て道長の妻となっています。

もしかしたら、道長が狙っていたのを察知して、二人で協力・牽制していたのかも知れませんね。

仲良しすぎて婚期を逃す?

どこかで誰かの声がする(イメージ)

……なんてことをしていたせいか、二人とも出逢いがありませんでした。

男性としてみれば、あまり仲良しな女性の中に割って入るのはなかなか度胸がいるし、気後れしてしまいます。

そんな二人は、出逢いがないとぼやく和歌を詠み交わしたのでした。

小少将の君「天の戸の 月の通ひ路 さ(鎖)さねども いかなるかたに たたく水鶏ぞ」

【意訳】誰か素敵な男性が通ってこないかと期待して、戸締りもせずに待ち構えているのに、聞こえるのはよその女性を訪ねる物音ばっかり。誰か、早く気づいて!

水鶏(くいな)の鳴き声を、戸を叩く音に見立てているのですが、これに対して紫式部の返歌と言いますと……。

紫式部「槙の戸も ささでやすらふ 月影に 何をあかずと たたく水鶏ぞ」

【意訳】音が聞こえるだけ、まだマシでしょう?私の方なんて音さえ聞こえないんだから!

「「まったく、世の男性たちは見る目がないんだから!」」

と言ったかはさておき、二人で笑いあっていたことでしょう。

小少将の君を偲ぶ

小少将の君から贈られた文を見つける(イメージ)

紫式部にとってかけがえのない親友だった小少将の君。しかし彼女は長和2年(1013年)ごろに世を去ってしまいました。享年は30歳前後と考えられます。

親友を喪った紫式部は深く悲しみ、ある時身辺整理をしていたら、小少将の君がくれた文を見つけました。

紫式部「たれか世に ながらへて見む 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども」

【意訳】いま私はこうして彼女の筆跡を見ているけれど、私が死んだ後に誰が私の筆跡を見るのだろう。

あれほど楽しかった二人の日々も、あっという間に過ぎ去ってしまった。

そんな虚しさを抱えながら、紫式部は同僚の加賀少納言(かがのしょうなごん)に和歌を贈ります。

紫式部「暮れぬ間の 身をば思はで 人の世の あはれを知るぞ かつはかなしき」

【意訳】本当に束の間の生命であると思うと、人の世は何と趣深く、そして悲しいことか。

わずかな間に一瞬だけ燃える火花のような、そんな感傷にひたる紫式部。一説には、この歌が辞世ともかんがえられているようです。

加賀少納言の叱咤激励?

生きている今の命を大切に(イメージ)

しかし加賀少納言はなかなかサバサバした性格だったのか、その返歌(リアクション)がこちら。

加賀少納言「亡き人を しのぶることも いつまでぞ 今日のあはれは 明日のわが身を」

【意訳】貴女はいつまでクヨクヨしているのですか。今日しんみりしている貴女こそ、明日はしんみりされる側になる≒亡くなるかも知れないと言うのに。

せっかく生きているのだから、生命を無駄にしないためにも、前向きに過ごさなくちゃいけません。

そんな加賀少納言のメッセージは、紫式部にどう響いたのでしょうか。

終わりに

福井夏演じる小少将の君。NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

今回は藤原彰子に仕えた紫式部の親友・小少将の君について紹介してきました。

一説には『源氏物語』ヒロイン(の一人)である女三宮(おんなさんのみや)のモデルと言われるくらいにおっとりしていたと言います。

果たして大河ドラマ「光る君へ」では、福井夏がどんな小少将の君を演じてくれるのか、これから楽しみですね!

※参考文献:

  • 南波浩 校註『紫式部集 付 大弐三位集・藤原惟規集』岩波文庫、2024年2月
  • 萩谷朴『紫式部日記全注釈 上巻』角川書店、1971年11月
  • 福家俊幸『紫式部 女房たちの宮廷生活』平凡社新書、2023年11月

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