New! 伊周の妾・三の君光子とは?

【ドラマ10大奥】徳川吉宗に施薬院を要望した町医者・小川笙船(演:片桐はいり)とは何者?その生涯をたどる

江戸時代
スポンサーリンク

NHKドラマ10「大奥」、皆さんも楽しんでいますか?筆者も毎週火曜日の楽しみにしているところです。

さて、徳川吉宗(演:冨永愛)に施薬院の設置を求めた町医者・小川笙船(おがわ しょうせん)。片桐はいりの熱演が印象的でした。

果たして彼女……いえ実在の小川笙船はどのような人物だったのでしょうか。今回調べた限りを紹介します。

スポンサーリンク

小石川養生所の肝煎に

小川笙船は寛文12年(1672年)に小川利重(とししげ)の子として誕生しました。諱(いみな。忌み名=実名)は小川弘治(ひろはる)、祖先は戦国大名の小川祐忠(すけただ)と伝わります。

享保6年(1721年)12月、施薬院の設立を求め、吉宗が設置した目安箱に投書。するとさっそく聞き届けられ、吉宗は側近の有馬氏倫(ありま うじのり)に施薬院の設立を命じました。

養生所の設立に尽力した大岡忠相。

有馬は町奉行の中山時春(なかやま ときはる)と大岡忠相(演:MEGUMI)に命じて笙船の意見を聴取させ、それを元に建設開始。享保7年(1722年)12月13日に養生所の設立を果たします。

場所は小石川御薬園(東京都文京区)の中にあり、笙船は養生所の肝煎(きもいり。世話役)に就任しました。

しかし開設当初は「新薬の実験台にされる」などと悪評が立ち、利用者が少なかったと言います。誤解をとくため大岡は江戸の町名主らに養生所を見学させ、次第に患者も入りきれないほどに増えていきます(この辺りの描写はドラマ10大奥でも再現されていましたね)。

事業もすっかり軌道に乗った享保11年(1726年)笙船は肝煎職を嫡男・小川隆好(りゅうこう/たかよし)に譲って隠居。晩年は相模国金沢(神奈川県横浜市)へ移住しますが、やがて病を得て江戸へ戻りました。

そして宝暦10年(1760年)6月14日に世を去りました。享年89歳。亡骸は小石川光岳寺に葬られ(後に雑司ヶ谷霊園に改葬)、金沢の太寧寺(横浜市金沢区)にも分骨されたと言います。

スポンサーリンク

終わりに

「医は仁術なり」江戸の人々を救った笙船(イメージ)

以上、ごく駆け足で小川笙船の人生をたどってきました。貧しい庶民も等しく医療が受けられるよう尽力した姿は、山本周五郎「赤ひげ診療譚」のモデルにもなっていますね。

その後も小石川養生所の肝煎職は笙船の子孫によって受け継がれ、広く人々を救ったことでしょう。

※参考文献:

  • 『歴史群像シリーズ41 徳川吉宗 八代米将軍の剛胆と治政』学研プラス、1995年1月

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました