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【歴史旅】諏訪大社・御柱祭(式年造営御柱大祭)の思い出【2016年版】

歴史旅
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平成28年(2016年)5月14日、信濃国一之宮である諏訪大社(すわたいしゃ)の御柱祭(おんばしらさい)を見学させていただく機会に恵まれました。

念願の御柱祭、誠に冥加の限りです。

今回はその当時の思い出を紹介。全体のごく一部分ではありますが、今年に予定されている御柱祭に興味を持っていただけたら嬉しいです。

※当時、ガラケーで写真を撮影しているため、画質が悪くてすみません。

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御柱祭について

御柱祭はその正式名称を式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)と呼びます。

諏訪湖を包むように鎮座する4社(上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮。すべて含めて諏訪大社です)それぞれの社殿四隅に、神様の依り代となる御柱(みはしら/おんばしら)を建てるのです。

現場の賑わい。みんな、この日を心待ちにしていました。

この儀式は毎年ではなく、十二支の寅年と申年の七年目ごとに行われます。ちょっとややこしい表現ですが、要するに6年に1度と覚えて下さい。

当日はかねて山から伐り出し、大社の目前まで引きずってきた樅(モミ)の巨木が、いよいよ社殿の四隅へ建てられるクライマックスに立ち会います。

曳行される御柱。危険なので、スタッフはヘルメットなどを着用。

男たちが勇壮な木遣(きやり)唄に息を合わせ、タイミングよく梃子を入れると、ズシリズシリと巨木が前進。その様子は、まるで神話の大蛇を彷彿とさせる迫力でした。

途中で休憩に入ると、沿道の人々が御柱と一緒に記念写真を撮るなど盛り上がります。

御柱で記念撮影。

聞くところによれば、氏子でなければ神聖な御柱に近づいてはいけない(危険なので、部外者は立ち入り禁止)との事でした。

しかし実際そんな見分けが出来るのかは定かでなく、単に法被を着ているか否か程度の基準だったようです(ちなみに法被は沿道の土産物屋さんで購入可能)。

さっき購入した法被を着て、ドヤ顔の筆者。頭の手ぬぐいも確か現地購入、いかにもな観光客感。

そしていよいよ御柱が境内へ曳き込まれました。ついにフィナーレの建御柱(たておんばしら。御柱を立てる儀式)……と心待ちにしていたら、あまりに参拝客が多かったせいか、入場規制がかかってしまいます。

流石に「法被を着ているから氏子だ!」という主張は通らず、氏子の中でも特にコアな方々で建御柱が見届けられたのでした。

ごった返す人、人、人……とても中へは入れません。

昔から「人を見るなら御柱(祭に行け)」と言うそうで、なるほど参拝客が波のようです。

実に残念ではありましたが、肝心なのは神様がきちんと祀られること。つつがなく御柱が建ったのですから、誠に喜ばしい限りでした。

今(令和4年現在)では考えられない密っぷり。

……あれから6年が経ち、ことし令和4年(2022年)は壬寅(みずのえのとら)。いよいよ待ちに待った御柱祭が執り行われます。

新型コロナウィルスの影響によっていろいろ「新しい様式」での祭礼となるようですが、今回もつつがなく御柱が建ちますように。

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諏訪大社と主祭神など

思い出話は以上ですが、せっかくなので諏訪大社の概要についても軽く紹介させていただきます。

諏訪大社の主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その后神たる八坂刀売神(やさかとめのかみ)。

※ほか、境内に様々な神様も祀られていますが、ここでは割愛。

諏訪大社・下社秋宮

創建年代は不詳ですが、その由来は記紀神話(古事記・日本書紀)にさかのぼります。

かつて建御雷神(たけみかづちのかみ)との力比べに敗れた建御名方神が、出雲(島根県東部)から諏訪まで逃げてきて「もうこの地から出ないから許して下さい」と命乞いをした……そうです。

が、建御名方神は人々の崇敬を集め、かの戦国大名・武田信玄(たけだ しんげん)公も篤く信仰したほどの軍神(ぐんしん/いくさがみ)。少し不自然ではないでしょうか。

信玄公のトレードマークであるこの「諏訪法性兜」は、諏訪信仰に基づいている。歌川国芳「武英名馬競 武田信玄」

この逃げて来たエピソードには異説があり、土地の伝承をまとめた『諏方大明神画詞(すわみょうじんえことば)』などは、出雲からやって来た建御名方神が土着の洩矢神(もりやのかみ)を征服したという説もあります。

八坂刀売神は記紀神話に登場しない地元の神様で、八坂は弥栄(いやさか。ますます栄える)に通じ、諏訪信仰の広まり(諏訪神社は全国に約25,000社存在し、諏訪大社はその総本社)を象徴するのだとか。

【御神徳】
建御名方神:水神、風神、狩猟の神、農耕の神、軍神、開拓の神……など
八坂刀売神:水神、農耕の神、温泉の神、国造りの神……など

狩猟の神としても崇敬される諏訪明神(画像:Wikipedia)

夫婦二柱(柱は神様を数える単位)で力を合わせて信濃国(長野県)を切り拓き、豊かにしてきた歴史が偲ばれますね。

ちなみに、なぜ境内地が4か所に分かれているのかと言うと、元々は2か所ずつ上諏訪(かみすわ)神社と下諏訪(しもすわ)神社に分かれていました。

それが明治時代になって「4か所すべてで諏訪大社とせよ」と命じられ、現代の形になったと言います。

上社と下社の違いは、京都(上方)に近い方が上社、遠い方が下社とのことです。上下とはありますが格の違いはなく、すべてが同じ諏訪大社となります。

諏訪大社の御神紋「梶の葉」。根が五本なので、下社(春宮、秋宮のいずれか)と分かります。

諏訪大社の御神紋(ごしんもん。神社の家紋)は「梶の葉」。上社は根が四本、下社は根が五本なので、見分けられると楽しいですよ。

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終わりに

新型コロナウィルスの影響で、なかなか気軽に諏訪へ行ける状態ではありませんが、御柱祭の映像記録があります。

「諏訪に一人の英雄は要らない。みんなの力で御柱を建てるのだ」……そんな劇中のセリフに、感動した記憶があります。

諏訪の御柱 ~氏子たちの祭典~

筆者も以前、図書館の映画会でこれを観て泣きました。御柱祭りは、一見して絶対に損はありません。
気分だけでも、御柱祭を楽しんで頂ければと思います。

いつかコロナ自粛が明けたら、皆さんの旅行選択肢に信州諏訪を加えていただけると嬉しいです!

※もっと詳しく知りたい方はこちら!

※おすすめ書籍。御柱と諏訪信仰について、より深く学びたい方向け。

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