NHK大河ドラマ「どうする家康」もそろそろ終盤に差しかかってきました(令和5・2023年9月30日現在)。
今までずっと「我らが神の君」徳川家康と一緒だった家臣団ですが、そろそろ一人また一人と歴史の表舞台からフェイドアウトしていくことになります。
そこで今回は「どうする家康」に登場している家臣団の退場時期、つまり没年について一挙に紹介。
果たして彼らがどんな最期を迎えるのか、心して見守っていきましょう!
※紹介は50音順、いつものor既に登場しているメンバーについてはあっさりめ、未登場のメンバーについては概略の説明を加えるスタイルでお送りします。
合わせて読みたい:
- 井伊直政(板垣李光人)はいつ、何歳で亡くなる?
- 伊奈忠次(なだぎ武)はいつ、何歳で亡くなる?
- ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)はいつ、何歳で亡くなる?
- 大久保忠世(小手伸也)はいつ、何歳で亡くなる?
- 奥平信昌(白洲迅)はいつ、何歳で亡くなる?
- 金地院崇伝(田山涼成)はいつ、何歳で亡くなる?
- 酒井忠次(大森南朋)はいつ、何歳で亡くなる?
- 榊原康政(杉野遥亮)はいつ、何歳で亡くなる?
- 茶屋四郎次郎(中村勘九郎)はいつ、何歳で亡くなる?
- 鳥居元忠(音尾琢真)はいつ、何歳で亡くなる?
- 服部半蔵(山田孝之)はいつ、何歳で亡くなる?
- 林羅山(哲夫・笑い飯)はいつ、何歳で亡くなる?
- 平岩親吉(岡部大)はいつ、何歳で亡くなる?
- 本多忠勝(山田祐貴)はいつ、何歳で亡くなる?
- 本多正純(井上裕貴)はいつ、何歳で亡くなる?
- 本多正信(松山ケンイチ)はいつ、何歳で亡くなる?
- 渡辺守綱(木村昴)はいつ、何歳で亡くなる?
- 徳川家臣団の没年まとめ
- 終わりに
井伊直政(板垣李光人)はいつ、何歳で亡くなる?
永禄4年(1561年)2月19日生~慶長7年(1602年)2月1日没
井伊直政は関ヶ原の合戦で受けた鉄砲疵が原因で、その2年後に亡くなりました。享年42歳。
伊奈忠次(なだぎ武)はいつ、何歳で亡くなる?
天文19年(1550年)生~慶長15年(1610年)6月13日没
伊奈忠次は父・伊奈忠家が三河の一向一揆に与したことから徳川家を出奔。のちに帰参して松平信康に仕えるも、信康の死を機に再び出奔してしまいます。
やがて神君伊賀越えに尽力したため三度目の仕官が許され、街道整備や兵粮輸送など兵站の確保に才能を発揮。縁の下の力持ちとして家康の関東支配を支えました。享年61歳。
ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)はいつ、何歳で亡くなる?
永禄7年(1564年)9月24日生~元和6年(1620年)4月24日没
イングランド出身。極東を目指す航海中に漂流してしまい、日本へたどり着いて家康に仕えました。武士として三浦按針(みうら あんじん)の名と所領を与えられ、航海術や天文学などを伝授します。
家康の死後はいわゆる鎖国政策に反対し、徳川秀忠・家光に冷遇されながら、さりとて帰国もままならぬまま57歳で世を去りました。
大久保忠世(小手伸也)はいつ、何歳で亡くなる?
天文元年(1532年)生~文禄3年(1594年)9月15日没
北条氏の滅亡後、秀吉の命により小田原城4万5千石を与えられた大久保忠世。其の4年後に63歳で世を去ります。
奥平信昌(白洲迅)はいつ、何歳で亡くなる?
弘治元年(1555年)生~慶長20年(1615年)3月14日没
関ヶ原の合戦では武功を立て、美濃国加納10万石を与えられました。その後隠居し、豊臣家が滅亡する直前に61歳で世を去ったということです。
金地院崇伝(田山涼成)はいつ、何歳で亡くなる?
永禄12年(1569年)生~寛永10年(1633年)1月20日没
室町幕府重臣・一色家に生まれるも、5歳の時に幕府が滅亡したため京都南禅寺で出家。西笑承兌の推薦で家康に仕え、ブレーンとして外交を担当するようになります。
国内勢力はもちろんのこと、明国や李氏朝鮮、アユタヤ王朝(タイ)・黎朝(ベトナム)ひいては西欧諸国とも交流したとか。
また、豊臣家を征伐するキッカケとなった方広寺鐘銘事件(国家安康、君臣豊楽)にも関与したという説もあるようです(否定説もあり)。
家康の死後、神として祀る際に「明神」か「権現」かで南光坊天海と争い、敗れた後に失脚。65歳で世を去りました。
酒井忠次(大森南朋)はいつ、何歳で亡くなる?
大永7年(1527年)生~慶長元年(1596年)10月28日没
徳川家臣団の大黒柱として家康を支え続けた忠次。眼病を患ったため天正16年(1588年)に隠居、京都で出家したと伝わります。
そして70歳で世を去りました。もう海老すくい踊りは見られないのでしょうか。嫡男・酒井家次に受け継いで欲しいものです。
榊原康政(杉野遥亮)はいつ、何歳で亡くなる?
天文17年(1548年)生~慶長11年(1606年)5月14日没
毛嚢炎(もうのうえん。黄色ブドウ球菌等による感染症)を患い、59歳で世を去ってしまいます。
その死を悼むあまり、家臣の南直道が追腹を切り、康政の隣に葬られています。
茶屋四郎次郎(中村勘九郎)はいつ、何歳で亡くなる?
天文14年(1545年)生~慶長元年(1596年)閏7月27日没
劇中では武士の才能がないなどと言われますが、三方ヶ原合戦で武功を立てるなど活躍した四郎次郎。52歳で亡くなっており、その跡目は長男が受け継ぎました。
鳥居元忠(音尾琢真)はいつ、何歳で亡くなる?
天文8年(1539年)生~慶長5年(1600年)8月1日没
京都・伏見城の城代を務めていましたが、石田三成らの大軍に攻められ討死。享年62歳、これが関ヶ原合戦の幕開けとなりました。
服部半蔵(山田孝之)はいつ、何歳で亡くなる?
天文11年(1542年)生~慶長元年(1597年)11月14日没
56歳で病没したとされますが、詳しい原因は不明。また一説には横死したとも言われており、今後の究明が俟たれます。
林羅山(哲夫・笑い飯)はいつ、何歳で亡くなる?
天正11年(1583年)生~明暦3年(1657年)1月23日没
幼少期から聡明で知られ、朱子学派の儒学者として大成。南光坊天海や金地院崇伝らと共に家康のブレーンとしてその学識を発揮しました。
その後も秀忠・家光・家綱と四代将軍に仕えましたが、最愛の妻に先立たれたこと、そして明暦の大火によって書庫が焼失してしまったショックで亡くなってしまいます。享年75歳。
平岩親吉(岡部大)はいつ、何歳で亡くなる?
天文11年(1542年)生~慶長16年(1611年)12月30日没
70歳で世を去りますが、どうしても跡継ぎが見つからなかったため平岩家は親吉の代で断絶してしまいました。ただし、一族はその血脈を後世へ受け継いでいます。
本多忠勝(山田祐貴)はいつ、何歳で亡くなる?
天文17年(1548年)2月8日生~慶長15年(1610年)10月18日没
慶長14年(1509年)に隠居、その翌年に63歳で世を去りました。生涯57回の戦場でかすり傷一つ負わなかったそうですが、俗説では小刀で指先を傷つけてしまったことが死因と言われています。
本多正純(井上裕貴)はいつ、何歳で亡くなる?
永禄8年(1565年)生~寛永14年(1637年)2月29日没
本多正信の嫡男。父ゆずりの卓越した頭脳で家康を補佐したものの、驕り高ぶったツケが回って家康の死後、秀忠らに疎まれてしまいます。
やがて謀叛の疑いをかけられて流罪とされ、寂しく死んでいったのでした。享年73歳。
本多正信(松山ケンイチ)はいつ、何歳で亡くなる?
天文7年(1538年)生~元和2年(1616年)6月7日没
「生涯の友」であった家康が亡くなって間もなく、後を追うように79歳で世を去りました。正純にはおごり高ぶることのないよう、訓戒を遺したということですが……。
渡辺守綱(木村昴)はいつ、何歳で亡くなる?
天文11年(1542年)生~元和6年(1620年)4月9日没
家康の九男・徳川義直を後見し、家康の死後に名古屋の地で亡くなります。享年79歳。
徳川家臣団の没年まとめ
【50音順】
- 井伊直政(板垣李光人)……慶長7年(1602年)42歳
- 伊奈忠次(なだぎ武)……慶長15年(1610年)61歳
- ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)……元和6年(1620年)57歳
- 大久保忠世(小手伸也)……文禄3年(1594年)63歳
- 奥平信昌(白洲迅)……慶長20年(1615年)61歳
- 金地院崇伝(田山涼成)……寛永10年(1633年)65歳
- 酒井忠次(大森南朋)……慶長元年(1596年)70歳
- 榊原康政(杉野遥亮)……慶長11年(1606年)59歳
- 茶屋四郎次郎(中村勘九郎)……慶長元年(1596年)52歳
- 鳥居元忠(音尾琢真)……慶長5年(1600年)62歳
- 服部半蔵(山田孝之)……慶長元年(1597年)56歳
- 林羅山(哲夫・笑い飯)……明暦3年(1657年)75歳
- 平岩親吉(岡部大)……慶長16年(1611年)70歳
- 本多忠勝(山田祐貴)……慶長15年(1610年)63歳
- 本多正純(井上裕貴)……寛永14年(1637年)73歳
- 本多正信(松山ケンイチ)……元和2年(1616年)79歳
- 渡辺守綱(木村昴)……元和6年(1620年)79歳
【没年順】
- 大久保忠世(小手伸也)……文禄3年(1594年)63歳
- 酒井忠次(大森南朋)……慶長元年(1596年)70歳
- 茶屋四郎次郎(中村勘九郎)……慶長元年(1596年)52歳
- 服部半蔵(山田孝之)……慶長元年(1597年)56歳
- 鳥居元忠(音尾琢真)……慶長5年(1600年)62歳
- 井伊直政(板垣李光人)……慶長7年(1602年)42歳
- 榊原康政(杉野遥亮)……慶長11年(1606年)59歳
- 伊奈忠次(なだぎ武)……慶長15年(1610年)61歳
- 本多忠勝(山田祐貴)……慶長15年(1610年)63歳
- 平岩親吉(岡部大)……慶長16年(1611年)70歳
- 奥平信昌(白洲迅)……慶長20年(1615年)61歳
- ☆本多正信(松山ケンイチ)……元和2年(1616年)79歳
- ☆ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)……元和6年(1620年)57歳
- ☆渡辺守綱(木村昴)……元和6年(1620年)79歳
- ☆金地院崇伝(田山涼成)……寛永10年(1633年)65歳
- ☆本多正純(井上裕貴)……寛永14年(1637年)73歳
- ☆林羅山(哲夫・笑い飯)……明暦3年(1657年)75歳
……そして「我らが神の君」徳川家康(松本潤)は元和2年(1616年)4月17日、75歳で世を去ります。
終わりに
最終回終了時点で生き残っているのは17人中6名のみ。かなり寂しくなってしまいますね。
大河ドラマ的には小田原征伐(豊臣秀吉に夜北条氏政・氏直討伐)が終わった辺りから、一人また一人と退場していくことになるでしょう。
果たして彼らの去り際や死に様がどのように描かれるのか、心して見届けたいですね!
※参考文献:
- 煎本増夫 編『徳川家康家臣団の事典』東京堂出版、2015年1月
- 小川雄ら編『図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の“天下人”』戎光祥出版、2022年10月
- 菊地浩之『徳川十六将 伝説と実態』角川新書、2022年12月
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