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【取材】ここで源義経の首級が…神奈川県藤沢「伝 義経首洗井戸」を紹介【鎌倉殿の13人】

歴史旅
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時は文治5年(1189年)閏4月30日、奥州衣川で非業の死を遂げた源義経(みなもとの よしつね)。

彼の首級は美酒に漬けられて鎌倉へと運ばれ、同年6月13日に届きました。

歌川国芳「本朝武優鏡 源義経」

文治五年六月大十三日辛丑。泰衡使者新田冠者高平持參豫州首於腰越浦。言上事由。仍爲加實檢。遣和田太郎義盛。梶原平三景時等於彼所。各着甲直垂。相具甲冑郎從二十騎。件首納黒漆櫃。浸美酒。高平僕從二人荷擔之。昔蘇公者。自擔其糧。今高平者。令人荷彼首。觀者皆拭雙涙。濕兩衫云々。

【意訳】藤原泰衡(ふじわらの やすひら)の使者・新田冠者高平(にった かじゃたかひら)が義経の首級を持参して腰越に到着。

首実検のため、侍所別当の和田義盛(わだ よしもり)と同所司の梶原景時(かじわら かげとき)らが派遣された。それぞれ直垂の上から鎧を身に着け、鎧兜の郎従20騎を連れていく。
義経の首級は黒漆で塗られた櫃(ひつ)に収められ、中には腐り止めの酒が満たされている。高平の下人が天秤棒に担いで持って来た。
果たして首級を見た者は、みな涙で両袖を濡らすほど泣いたそうな。

※『吾妻鏡』文治5年(1189年)6月13日条

……これが、かつて平家討伐に大活躍した九郎御曹司(義経)の末路か……義盛・景時はじめ御家人たちは涙を流してその死を悼んだと言います。

が、首実検が終わるともう用済みとばかり、義経の首級は海に捨てられてしまいました。

えー!そこは普通、ねんごろに弔うんじゃないですか?と思いますが、現場には現場の考えがあったのでしょう。

とにかく捨てられた義経の首級は海の藻屑に……はならず、どういう潮の流れか境川とその支流である白旗川を(直線距離で海から4キロ以上)遡って河原に流れ着きました。

「あぁ、おいたわしや……」

伝 義経首洗井戸。筆者撮影

義経の末路を憐れんだ地元民が拾い上げた首級を洗い清め、懇ろに弔ったと言います。

今回はその義経の首級を洗い清めた「伝 義経首洗井戸(よしつねくびあらいいど)」に行ってきました。

義経伝説が残る白旗神社。筆者撮影

かつてここで義経の首級が……ファンにとっては絶対にお参りしておきたい聖地の一つ。義経をお祀り(合祀)している白旗神社(しらはたじんじゃ)と一緒に行くのがおすすめです。

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いざ現地へ!

義経首洗井戸は白旗神社から南におよそ200メートル、街道沿いの奥まった路地にあります。

このポールと……
この交番が目印。筆者撮影

大通りからはちょっと分かりにくいですが、交番(藤沢警察署 本町白旗交番)の右脇にある細い砂利道の奥。少し入っていくと申し訳程度の公園があるので、その右手にある井戸がそうです。

現地の案内板。筆者撮影

【伝 義経首洗井戸】
源義経(鎌倉幕府の将軍源頼朝の弟)は、頼朝に追われ奥州(東北地方)に逃げていましたが、一一八九年に衣川(岩手県奥州市)で自害しました。腰越(鎌倉市)で首実検の後に浜に捨てられた義経の首は、潮にのって川をさかのぼり、里人に拾われてこの井戸で清められたと伝えられています。この絵は、歌川国芳が描いた源義経の浮世絵です。
ここから二〇〇メートルほど北の白旗神社は祭神として義経を祀っており、境内には、藤沢の御首と宮城県栗原市の判官森に葬られた御骸の霊を合わせ祀った源義経公鎮霊碑などがあります。また、常光寺南側の公園には、弁慶塚と記された石碑が祀られています。

※「伝 義経首洗井戸」案内板より

境内は正面の井戸と右手に案内板、左手に石碑が建立され、人々が供えた花がそよ風に揺れていました。

伝 義経首洗井戸の全景。筆者撮影

この場所に義経の霊がいるとも思えませんが、かつて少しでも所縁があったと思えば、思わず手を合わせてしまうのが人情というもの。

非業の死を遂げた若き英雄に、しばし思いを馳せたのでした。

「御曹司、どこまでもお供つかまつる!」死してなお義経を慕う弁慶。筆者撮影

伝承によれば義経の首級と一緒に武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)の首級も流れ着いたと言われ、今度は弁慶の首級が祀られているという弁慶塚(八王子権現社跡)にもお参りしたいですね。

白旗神社の周辺地図。筆者撮影

終わりに

ところで、白旗神社はもともと寒川神社(神奈川県寒川町、相模国一宮)から分祀(神様の御霊をお分けすること)されたため寒川神社と号していました(創建時期は不詳)。

白旗神社の森閑たる境内。筆者撮影

それが義経の首級エピソードを聞いた源頼朝(よりとも)の命令で、白旗明神(しらはたみょうじん。白い旗は源氏のトレードカラー&マーク)を祀る白旗神社と改名。

正式に義経の御霊が合祀されるようになったのは鎌倉時代中期の宝治3年(1249年)9月。元から祀られていた寒川比古命(さむかわひこのみこと。厄除け開運の神)ともども、現代に至るまで人々から崇敬されています。

※参考:

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