夜に表を出歩くのって、楽しいですよね!
いつもの街が昼間と違った表情を見せてくれて、ワクワクします。
……が、そんなことを言っていられるのも夜道の平和あればこそ。
治安の悪い地域では、とてもそんな余裕はありません。
何なら自宅にいてさえ安全とは限りませんから……。
鎌倉時代も夜道は危険だったようで、今回は北条重時(しげとき。義時三男)が遺した『六波羅殿御家訓』より、夜道の心得を紹介したいと思います。
どうしても夜間に外出する時は……。
一 馬にてありかん時は、かちはしりには、中間雑色なんとを召具すへし、若是䓁なからん時は、わかたうの下人のさはやかなからんを具すへし、又夜るありかんには、必す若黨を具すへし、但差たる大事ならすは、夜ありきすへからす、縦夜ありく事あらは、聊もをほつかなくをもはむ處には、手かろき若黨に大刀をもヽたすへし、穴賢中間躰の者には大刀もたすへからす、
※『六波羅殿御家訓』より
【意訳】馬で外出する時は、徒歩の中間(ちゅうげん)や雑色(ぞうしき)を同行させるべきです。もしこれらの者がいなければ、若い下人の内から、見栄えのする者を連れていきましょう。
ただし大した用事がないなら、夜歩きすべきではありせん。
もし夜間に外出すべき急用がある場合、少しでも治安が怪しい場所では信頼できる若党に太刀を持たせなさい。
間違っても中間などに太刀を持たせてはなりません。
……要するに「夜間に急用があっても、一人では絶対に出歩くな」「危険な所へは信頼できる者に太刀を持たせろ」と言うことです。
なぜ中間に太刀を持たせないかと言えば、彼らの多くは勤続年数が浅かったり、正式な雇用契約でなかったりなどが挙げられます。
彼らが元から真面目で誠実な人間であったり、あるいはそうあるよう関係構築が出来ていたりすればいいのですが、そうでないから中間に留めてあるのではないでしょうか。
つまり「裏切られたらひとたまりもない」の一言に尽きます。
自分で帯刀するのが一番いいものの、いつもそれではだるいので、つい従者に持たせてしまう者が多かったのでしょう。
戦時のみならず、平時にあっても用心を怠らないことこそ、鎌倉武士の処世術でした。
言うまでもなく、いつの世も油断大敵なのですが……。
終わりに
今回は『六波羅殿御家訓』より、夜道の心得を紹介しました。
北条重時は義時の三男として生まれ、幼くして母親(姫の前)が離婚。またはっちゃけキャラの実兄・北条朝時を反面教師として育った苦労人です。
建久9年(1198年)6月6日生~弘長元年(1261)11月3日没
その人生経験を子供たちに伝えた家訓には、他の教えもあるので、改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 桃裕行 校訂『北條重時の家訓』養徳社、1947年10月
- 『増補改訂 武家家訓・遺訓集成』ぺりかん社、2003年8月
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