大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しみにしていますか?
第21回放送「風雲!竹田城」で羽柴筑前守秀吉(池松壮亮)が早々に攻略した上月城(こうづきじょう)は、赤松政範(あかまつ まさのり)が守っていました。
劇中で少し言及されていたものの、実際はどのような戦いだったのでしょうか。
優柔不断が身の破滅

赤松政範は生年不詳、赤松政元(まさもと)の次男として誕生しました。
当家(七条赤松氏)は播磨国西部に勢力を誇り、父子2代で西播磨殿(にしはりまどの)と呼ばれたそうです。
政範は武勇に優れて思慮深く、また蔵人大輔(くらんどのだいゆう)の官職を称していました。
当時の播磨は西から毛利輝元(濱正悟)や宇喜多直家(うきた なおいえ)、東から織田が勢力をのばしており、政範はどちらに味方すべきか考えていたようです。
しかし優柔不断な政範の態度に痺れを切らしたのか、天正5年(1577年)、東から羽柴秀吉が3万の大軍で攻め込んできました。
政範は宇喜多に援軍を求め、駆けつけてくれた宇喜多広維(ひろこれ。直家舎弟)と共に、秀吉の大軍を迎え撃ちます。
かくして上月城に立て籠もり、徹底抗戦した政範ですが、何せ多勢に無勢(赤松軍7千+宇喜多援軍3千)。 最早これまでと覚悟を決めた政範は、家臣たちに命じました。
自刃して将兵の助命を乞うが……

「よいか。我が首を羽柴殿へ献じて将兵の助命を乞え。もし羽柴殿が降伏を許さぬ時は、何としてでもその首を獲ってやれ」
そしてまず妻を殺し、一族郎党揃って自刃しました。
この時に宇喜多広維・国府寺入道(こうでらにゅうどう)・高島正澄(たかしま まさずみ)・中村伊勢入道(なかむら いせにゅうどう)・早瀬正義(はやせ まさよし)らも殉死しています。
残された将兵らは上月城を開け放ち、政範の首級を持って秀吉に降伏しました。
「我が命と引き換えに、将兵の助命を乞う、とのことにございます」
しかし秀吉はこれを許さず、小寺官兵衛(倉悠貴)の命によって城内に生き残っていた将兵はもちろん、女子供にいたるまで皆殺しにしたと言うことです。
これは毛利や宇喜多に対する牽制であり、また播磨国内の諸大名らに対する見せしめだったのでしょう。
許されなかった降将らが死力を尽くして秀吉の首を狙ったかどうかは、定かではありません。
秀吉がその後も生きているので、実行したとしても失敗に終わったことはわかりますが……。
終わりに
今回は西播磨の戦国大名・赤松政範について、その末路を紹介しました。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、処刑した者たちの前で呆然とたたずむ秀吉の姿が映っていましたが、その胸中はいかばかりでしょうか。
女子供を自らの意思で虐殺したトラウマ?が、秀吉をどう闇堕ちさせていくのか、今後の展開に注目です。
※参考文献:
- 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社、2009年1月
- 渡邊大門『戦国期赤松氏の研究』岩田書院、2010年5月
- 渡邊大門『赤松氏五代』ミネルヴァ書房、2012年10月

