NHK大河ドラマ「光る君へ」、皆さんも楽しんでいますか?筆者は毎週の楽しみにしています。
劇中でちょくちょく出てくる散楽一座の皆さん。第1回放送「約束の月」では、以下のメンバーが演じていたのをご記憶でしょうか。
座頭(佐藤伸之)……散楽の座頭
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
コウメイ(金澤慎治)……散楽の一員(以下同じ)
兼太(長谷場俊紀)
兼次(松岡歩武)
兼三(千葉雅大)
座頭が「座頭」というテキトーな役名に対して、他のメンバーにそれぞれ名前がついているのは、何か意味があるのでしょうか。コウメイの覆面も気になりますね。
第2回放送「めぐりあい」では6年の歳月が流れており、この散楽一座は解散したのか野垂れ死にでもしたのか、それ以降の登場はありませんでした。
たった1回だけの登場にもかかわらず名前をつけたのは?コウメイの覆面が意味するところは?
今回はコウメイたちが演じていた散楽から、そのモデルについて考察したいと思います。
散楽のテーマは「安和の変」?コウメイ=源高明?
散楽のストーリーは断片的ながら、コウメイが「トウの一族(兄弟?記憶が定かではありません)」によって虐げられていました。
コウメイを倒して勝ち誇るトウの三兄弟。しかしコウメイが何か不思議な力を使ったのか、あるいは祟りが起きたのか、三兄弟はもだえ苦しみ倒れていきます。
……これはもしかして、安和2年(969年)に起きた安和の変(あんなのへん)を諷刺しているのかも知れません。
時は安和2年(969年)3月26日、左大臣の源高明(みなもとの たかあきら)が謀叛に加担した容疑により、大宰府へ左遷されてしまいました。
高明は出家=完全降伏・政界引退するから京都に留まらせてほしいと願い出るも赦されず、検非違使によって連行されるという辱めを受けます。
やがて天禄2年(971年)に高明は罪を赦されて京都へ戻るも政界には復帰せず、京洛外の葛野に隠遁してしまいました。
果たして謀叛の企みが事実であったのか、結局はうやむやになってしまいます。しかし裏ではトウの兄弟こと藤原伊尹(これただ)・藤原兼通(かねみち)・藤原兼家(かねいえ)が糸を引いていたという噂が立ちました。
つまりコウメイは源高明(たかあきら⇒音読みでコウメイ)がモデル、覆面をしていたのは罪に落とされた恥辱を表現していたのかも知れません(あるいは単に癩病を患っていた可能性も)。
そして兼太・兼次・兼三もそれぞれ藤原伊尹・藤原兼通・藤原兼家がモデルと言えるでしょう。顔を白く塗っていたのは、お公家様をイメージしているのでしょうか。
終わりに
安和の変によって失脚に追い込まれてしまった源高明たちに対する同情と、藤原一族への批判が、第1回放送で演じられていた散楽のテーマだったのかも知れません。
今も昔も濡れ衣によって陥れられてしまった者に対する判官びいきの心情は変わらないようです。
ただし、実際にそうした演目が披露された記録は現存しておらず、あくまで本作における創作と考えられます。
覆面キャラが強く印象に残ったコウメイたち。できればまた登場して欲しいですね!
※参考文献:
- 倉本一宏 編『王朝時代の実像1 王朝再読』臨川書店、2021年7月
コメント