つい先日まで暑かったかと思えば、いきなり例年以上に冷え込んで、慌てて冬物を出したら今度はまた暑くなり……いったい何の耐久試験かとぼやきたくなる今日この頃。これも異常気象のせいなのでしょうか。
さて、そう何だかんだと言いながら、季節は着実に冬へと向かっている11月。昔の暦では霜月(しもつき)なんて美しい呼び方もありました。
寒くて霜が降り始めるから霜月……恐らくそんなところなのでしょうが、本当にそうなのでしょうか。
そこで今回は11月の旧称である霜月だけではなく、11月の別名を調べてみたので、紹介したいと思います。
寒いからだけじゃない?霜月にまつわる諸説
霜月は霜降月(しもふりづき)や霜見月(しもみづき)などとも呼ばれるように、確かに寒くて霜が降り始めることに由来しているようですが、実はそれだけではなく諸説あるようです。
例えば11月23日に新嘗祭(にいなめさい)が執り行われるなど、食物の収穫に感謝する食物月(おしものづき)が「お霜の月」に変化したとか、あるいは本格的な冬を前に草花がしぼんでいく「凋月(しぼむつき)」や、一年で最も日が短くなる冬至(とうじ。現代では12月≒旧暦11月)を一年の終わりと考えて「末つ月(すえつつき。つ、は古語で『~の』に相当)」が訛ったなどとも考えられています。
こうした色々な要素が重なって、最も美しい霜月に落ち着き、人々の間に定着していったのでしょうね。
他にもたくさん!知っておきたい11月の別名あれこれ
他にも色々な11月の別名があるので、紹介していきましょう。
神帰月(かみきづき)
10月(神無月。かんなづき)に出雲大社へ集合するため、地元からいなくなった神様たちが、一斉に帰ってくることから、そう呼ばれます。
出かけて行ったら、無事に帰って来るのは当たり前じゃない。昔の人々は、さぞや喜びお出迎えしたことでしょう。
「よくぞお戻り下さった」ということで、御神楽でもてなす神楽月(かぐらづき)という別名も、その喜びをよく表していますね。
建子月(けんしげつ)
北斗七星が形づくる柄杓の先端が子の方角(真北)を指すことから名づけられました。古代中国においては、これを一年のはじまりの月としたそうです。
以降、12月は建丑月(けんちゅうげつ)、1月は建寅月(けんいんげつ)……と、十二支を割り振って10月の建亥月(けんがいげつ)で一周となります。
周正(しゅうしょう)
古代中国の周(しゅう)王朝においては先ほどの建子月を正月としたため、「周の正月」が略されて周正となりました。
仲冬(ちゅうとう)
仲とは次男坊を意味する字(あざな。古代中国の成人男子が用いた通称)の頭文字で、旧暦では10月から12月を冬として、その2番目だから次男に見立てたのです。
だから10月は孟冬(もうとう。孟は長男の意)、12月を季冬(きとう。季は末っ子の意)とも呼びます。兄弟仲良く、冬を乗り越えていきましょう。
畢辜(ひっこ)
畢(ひつ)とは終わる、辜は罪を意味しており、罪が終わるとは、暗い夜の長い時期が終わり、清められた世界が徐々に明るくなる時期を言います。
神道で言うところのケガレを清め祓って、すがすがしい気持ちになれそうですね。
雪待月(ゆきまちづき)
そろそろ雪が降りそうでまだ降らない……何とも風雅を味わえる古称ですが、雪国の皆さんからしたら「雪を待つなんて、お前たちは何も解っていない!」と思うかも知れませんね。
暖かいところでぬくぬくしながら眺める雪景色……雪かきさえ必要なければ、実に最高なんですけどね。
雪見月(ゆきみづき)
こっちはもう既に雪が降っている地域で使われている呼び名だそうで、「もうこっちは雪を楽しんでいるよ」なのか、「もう雪が降ってきて、うんざり……」なのか、文脈から空気を読みたいところです。
陽復(ようふく)
一年で最も夜の長い冬至を過ぎれば、また少しずつ日が長くなる一陽来復(いちようらいふく)。それを略したのがこちらの陽復。
陽(ひ)が復(かえ)る……何だか、神様が帰って来るようで、先ほどの神帰月に通じる喜びが感じられます。
竜潜月(りゅうせんげつ)
竜が潜んでいる月、これは冬至における太陽を表わしており、やがて竜が深い淵より身を躍り出し、天高く昇ってゆく開運の希望を象徴するようです。
高く跳ぶには屈まにゃならぬ……今の辛さは、いつか飛躍するための糧となるでしょう。
終わりに
まだまだバリエーション違いの呼び名もたくさんありますが、手紙やメール、日常会話のはしばしに、さりげなく織り交ぜるなど、季節の移ろいを味わいたいものです。
※参考文献:
- 岡田芳朗ら『現代こよみ読み解き事典』柏書房、1993年2月
- 角川書店 編『俳句歳時記 第五版 冬』角川書店、2018年11月
- 藤井正雄『新版 神事の基礎知識』講談社、2001年3月
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