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徳川家康(演:松本潤)が着ていた金ピカの鎧「金陀美具足」について紹介【どうする家康】

戦国時代
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令和5年(2023年)NHK大河ドラマ「どうする家康」。そろそろ第1回放送が迫ってきました。松本潤が演じる家康青年の活躍が楽しみですね。

さて、予告編で若き徳川家康(とくがわ いえやす)が身にまとっていた金色の鎧。幼少時から貧乏で、今川義元(演:野村萬斎)の人質だった彼が、本当にあんな豪華なものを持っていたのでしょうか……?

金ピカの甲冑に身を包む元康。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

そんな疑問を解消すべく、今回は家康が着ていたという金陀美具足(きんだみぐそく)について紹介。大河ドラマの予習になるかも知れません。

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金陀美塗黒糸威二枚胴具足

家康の着ていた金ピカ鎧、その名称(※)を「金陀美塗黒糸威二枚胴具足(きんだみぬりくろいとおどしにまいどうぐそく)」と言います。

※別に家康や当時の人々がそう呼んでいた訳ではなく、形状や製法などから名づけられた便宜上のものです。

イメージ(金陀美具足を模した五月人形)

黄金色に輝く表面は漆を塗った上から金粉をまぶした金溜塗(きんためぬり)と呼ばれる技法で仕上げられ、「きんため」が訛って「きんだみ」になったのでしょう。

なお金陀美と当て字されているのは、陀が「くずれる・おちる」、美は文字通り「美しい」の意。すなわち「美しく崩れ落ちる」転じて「崩れた金=金粉を美しく落とす≒まぶす」ことで仕上げたと解釈できます。

以下の単語も詳説していきましょう。

  • 黒糸縅(くろいとおどし)⇒黒い糸を使って部品をつないだ(これを縅すと言います)
  • 二枚胴(にまいどう)⇒胴体の前後をそれぞれ一枚の板で包んだ
  • 具足(ぐそく)⇒具(そな)え足りる。つまり鎧一式(兜や籠手、脛当など込み)

総合すると「金をまぶして美しく塗り上げ、黒糸で縅した二枚胴の鎧一式」ということに。

一息に「金陀美塗黒糸威二枚胴具足」と言えば何だか呪文のようですが、意味が解ると随分とっつきやすくなりますね。

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桶狭間の合戦で着ていた?

さて。この金陀美具足、家康が桶狭間の合戦(永禄3・1560年)で着ていたものと伝わります。

伝 家康所用金陀美具足。久能山東照宮 蔵

かつて国を奪われ、永年屈従を強いられていた松平(後の徳川)の旧臣たちが「いつかこの日のために」と貧乏暮しの中でコツコツお金を貯めて新調したという伝承もあるそうですが、果たしてどうでしょうか。

仮に具足の新調に百両かかったとして、一両が現代の貨幣価値で約4万円~10万円(諸説あり)とした場合、約400万円~1,000万円。

竹千代(家康の幼名)が人質にとられた天文16年(1547年)から13年間をかけて、家臣一人なら約77万円/年、十人なら約8万円/年ペースで貯金すれば何とかいけそうです。

恐らく、竹千代(家康の幼名)をずっと支えた老臣・鳥居忠吉(演:イッセー尾形)が、竹千代のために金銀を蓄え続けたエピソードが元になったものと思われます。

しかし実際のところは、竹千代あらため松平元康(もとやす)を我が子も同然に可愛がってきた義元が与えたものではないでしょうか。

また、つるりとヘルメットのような兜は頭形兜(ずなりかぶと。頭のラインに沿った兜)と呼ばれ、後に日根野弘就(ひねの ひろなり)が考案したことから日根野頭形兜とも。

よってこの具足はもう少し後(いわゆる織豊政権時代以降)に制作されたとも、少なくとも兜は後から作られたのではないかとも考えられています。

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輝ける「朱武者」家康

実際、桶狭間の合戦で家康が金陀美具足を着用していた記録はないようですが、『信長公記』に気になる記述がありました。

……今度家康ハ朱武者尓て先懸をさせられ大高へ兵粮入鷲津丸根にて手を碎御辛労なされたる尓依て人馬の休息大高尓居陣也……

【意訳】こたび家康は朱武者にて先駆けをさせられ大高城へ兵粮を運び入れ、鷲津砦・丸根砦を攻略。苦戦したので兵や馬を休めるため大高城に布陣した。

※太田牛一『信長公記(巻之上・我自刊我本)』廿四・今川義元討死之事

この朱武者(あけむしゃ)とは夜明けから早朝にかけて戦う「朝駆け」を指しているのでしょうか。あるいは朝日に朱く照らされた家康の勇姿だったのかも知れません。

月岡芳年「尾州大高兵糧入図」

せっかくなので『東照宮御實紀』が伝える家康の活躍も紹介しましょう。

……   君もその先隊におはし給ひ。先丸根の城をせめ落したまひ。やがて鷲津も駿勢せめおとす。義元大高城は敵地にせまり大事の要害なればとて。鵜殿にかへて   君をして是を守らせ……

※君(家康)の前にやたら空白があるのは、畏れながら御名前(代名詞)をすぐ上(原文は縦書き)の文字が踏んづけては不敬になろうとの配慮によります。

【意訳】家康も先陣を務めて丸根砦・鷲津砦を攻略。今川義元は「大高城は敵地に近い要害だから」ということで、鵜殿長照(演:野間口徹)の代わりに守備させた。

※『東照宮御實紀 巻二』永禄三年

この時、家康わずかに18歳。よほど義元から信頼されていた(それに値する武勲を立てた)ことがうかがわれます。

実際に金色の鎧など着ていなくても、家康は眩(まばゆ)いばかりに輝いていたのかも知れませんね。

終わりに

果たして家康は、桶狭間の決戦でどの鎧を着ていたのでしょうか。

指を咬む元康。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

そして大河ドラマ「どうする家康」では、どのような経緯で金陀美具足を身にまとうことになるのでしょうか。

戦場を燦然と駆け抜ける元康青年の勇姿。松本潤の好演に注目です!

※参考文献:

  • 小和田泰経 監修『完全保存版 戦国武将 武具と戦術 甲冑・刀剣のことから合戦の基本まで』枻出版社、2015年6月
  • 宮崎真澄ら編『新装版 日本甲冑の基礎知識』雄山閣、2006年2月

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