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わしの子に文句があるか!?羽柴秀康、今度は結城家へ養子入りの巻【どうする家康】

戦国時代
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天正12年(1584年)、小牧・長久手の合戦における和睦条件として羽柴秀吉の元へ養子に出された徳川家康の次男・於義伊(おぎい・於義丸)。

その実態は人質で、もし家康が秀吉に反抗すれば、たちまち殺されかねない運命でした。

しかし秀吉は於義伊を大歓迎。さっそく元服の儀式を執り行い、自分の名前から秀の字を与えて羽柴秀康(ひでやす)と改名させます。

それほど可愛がられた秀康でしたが、やがて天正17年(1589年)に秀吉の嫡男・捨丸(鶴松)が誕生すると、あわれ秀康は用済みに。

やがて年は明けて天正18年(1590年)春、秀吉の元へ一人の使者が訪れたのでした。

ここまでのあらすじはこちら:

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関東の名門・結城家へ養子入り

……同き十八年の春、下総国の大名結城右衛門督晴朝、家人多賀谷安芸、使として晴朝年既に五十に餘りて、いまだ家つがすべき男子なく、たゞ獨の娘あり、 実は晴朝の孫女にて、一族水戸但馬守が娘、是即忠直卿等の御母なり あはれ殿下の御一族を賜て、聟君とし、我家を譲らばやと望む、関白殿悦ばせ玉ひて、於義丸を下すべしと仰ありしに、使者申次の人に近づきて、いづれの御事にわたらせ給ふにやといひしに、関白殿大きなる御聟にて、秀吉が子に、何條疑かあると、仰られしかば、慎みて仰せ承て下る……

※『藩翰譜』第一 越前

「此度は関白殿下に拝謁かない、恐悦至極に存じ奉る……」

「あぁもう、堅苦しい挨拶は要らぬ。して、何の用じゃ」

やって来たのは多賀谷安芸。下総国(千葉県北部一帯)を本拠地とする戦国大名・結城晴朝(右衛門督)の家臣です。

結城晴朝(画像:Wikipedia)

「我が主は50歳も過ぎましたが、いまだ男児がおらず、一人娘(※)がいるだけです。結城家は平安時代から続く関東の名門。絶やすには忍びなきゆえ、どうか関白殿下の御一族から婿を迎えたいと存じます」

(※)ちなみにこの一人娘は養女で、結城一族に連なる水戸但馬守の娘でした。

この申し出を受けた秀吉は大層喜び「よし、そういう事なら於義伊に参らせよう。心身壮健ゆえ、結城家の跡取りに適任じゃわい」と秀康を呼び出します。

「あの、こちら様は?」

秀康の存在をよく知らないのか、あるいは人選に不満なのか。多賀谷安芸がいぶかしむと、秀吉は表情を一変させました。

「何じゃ、『我が子』では不満か?」

「いえ、あの、そんな事は……」

本当は家康の子ではないか。要らなくなったからと使い回しおって我ら結城家は関東の名門。嫡男(鶴松)を出せ嫡男を……そんな本音を言えるはずもなく、多賀谷安芸は秀吉の申し出を快諾したということです。

※ちなみに、結城家の祖先である結城朝光についてはこちら。

晴れて結城の家督を継承

……今年関白殿、北條を打亡し、まづ守殿を結城の館に入れまゐらせ、自らも彼館に至り、泊らせ玉ふこと三日を経て、奥に下らせ玉ふ、同き八月六日、晴朝守殿に家ゆづらる、 是より結城殿と申し、十万千石の地、領せらる……

※『藩翰譜』第一 越前

同じ天正18年(1590年)7月には関東の覇者・小田原北条氏を下した秀吉は、まず秀康を結城家の本拠・結城城(茨城県結城市)へ向かわせます。

続いて自分もやって来て、三日間宿泊したのでした。恐らく秀康に対して関東の押さえを託したのでしょう。

「よいか於義伊。徳川から羽柴、そしてまた結城家へ養子入りしてもらったが、これは決してたらい回しなんかではないぞ。むしろ何百年にもわたり続いてきた関東の名門を存続させ、また関東を鎮める重要な任務と心得よ」

「……御意」

これがたらい回しでなかったら、一体なんだというのか……17歳の秀康は、実に複雑な思いを抱えたものと思われます。

秀康の結城家養子入りは、家康の関東移封に対する抑えの役割もあった?(C)歴史屋

ちなみに実父の家康がこれまでの東海5ヶ国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)から関東に国替えとなり、7月18日に江戸へ入っていることから、その抑えとしての役割もあったのでしょうか。

果たして同年8月6日、秀康は正式に結城晴朝より家督を譲られ、下総の地に10万1,000石を領する大大名となったのでした。

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終わりに

徳川家から羽柴家、そして結城家へとたらい回しされてしまった於義伊改め秀康。

豊臣鶴松(捨丸)。もし彼が生きていたら、豊臣政権はもっと永らえ、歴史は大きく変わっていたかも知れない(画像:Wikipedia)

しかしその翌年(天正19・1591年)8月5日、豊臣家ではせっかく生まれた嫡男・鶴松がわずか3歳で夭折してしまいます。秀康が結城家を継いでから、ちょうど一年が経とうとしていた時のことでした。

秀吉の悲しみはもちろんのこと、立派に育っていた秀康を手放してしまったことを後悔したかも知れませんね。

さて、結城秀康の活躍はまだまだ続きます。NHK大河ドラマ「どうする家康」では割愛されてしまうかもですが、これからも秀康に注目したいですね!

※参考文献:

  • 新井白石『藩翰譜 一』国立国会図書館デジタルコレクション

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