人間、窮地の時ほど本性が出ると言います。いざ有事にとった咄嗟の反応が名誉を大きく左右するものですから、平時より覚悟しておかねばなりません。
今回は戦国時代、家臣の窮地を救い出した徳川家康(とくがわ いえやす)のエピソード「一宮後詰(いちのみやのごづめ)」を紹介。
一宮とは三河国一宮(現:砥鹿神社。愛知県豊川市)、後詰とは籠城している味方に援軍を出すことを言いますが、果たして家康はどんな活躍を見せたのでしょうか。
500対20,000。あえて窮地に飛び込む理由は?
時は永禄7年(1564年)。一向一揆の鎮圧に成功し、ドサクサ紛れに挙兵した松平昌久(演:角田晃広)たちも撃破した家康は、三河国をほぼ平定しつつありました。
しかし吉田城(愛知県豊橋市)には今川氏真(演:溝端淳平)に仕える小笠原鎮実(おがさわら しげざね。肥前守)が立て籠もり、岡崎城を虎視眈々と狙っています。
小笠原勢に備えるため、家康は喜見寺・糟塚などに砦を築き、一宮の砦は本多信俊(ほんだ のぶとし。百助)に兵500を与えて守らせました。
このままでは吉田城が孤立してしまう。事態を重く見た氏真は二万の兵を率いて出陣。一宮砦へ攻め込みます。500対20,000。まともに立ち向かえばひとたまりもありません。
氏真襲来の急報を受けた家康は一宮砦の後詰に駆けつけようとしますが……。
「お待ち下され!我が方は三千、敵はその十倍はいるとか。更には我らが背後を衝こうと武田(たけだ)の軍勢が控えております。どうか御深慮なされませ!」
老臣たちの諫言は至極もっとも。それが解らぬ家康ではありませんが、あえて言い放ったのでした。
「家臣に敵の見張りを命じておいて、いざ来た敵が大軍だからと見捨てるのは武士の信義にもとる。万が一討死したら、それが天命と諦めるまで。敵の数など気にするな、信義をまっとうすれば、天もお味方下さろうぞ!」
と出陣した家康は、一気呵成に今川の大軍へ突撃し、武田の備えも蹴散らします。
「百助(信俊)、無事か!よう耐えたな、もう大丈夫じゃ!」
「御屋形様自ら……有難き仕合せにございまする!」
一宮の砦で一泊した家康たちは、翌日に全員で出撃。誰一人欠けることなく、無事に生還できたということです。
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終わりに
……されども吉田城には今川氏真より小原肥前守鎮実をこめ置て岡崎の處をうかゞへば。是にそなへられんがため。岡崎よりも喜見寺糟塚等に寨をかまへさせたまふ。その中に一宮の砦は本多百助信俊五百ばかりの兵をもてまもりけるに。氏真吉田を救はむがため二万の兵をもてこの寨をせめかこむ。 君かくと聞召三千の人数にて一宮の後詰したまはむとて出馬したまふ。老臣等是をみて敵の人数は味方に十倍し。その上後詰を防がせむとて武田信虎(原文ママ)備たり。かたがた御深慮ましまして志かるべしと諫けれど。 君は家人に敵地の番をさせて置ながら。敵よせ来ると聞て救はざらんには。信も義もなきといふものなり。万一後詰をしそんじ討死せんも天命なり。敵の大軍も小勢もいふべき所にあらずとて、もみにもんで打立せ給ひ。信虎(原文ママ)が八千の備をけちらして一宮の寨に入給ふに。今川が軍勢道を開て手を出すものなし。その夜は一宮に一宿ましまし。翌朝信俊を召し具せられ。将卒一人も毀傷なく敵勢を追立々々難なく岡崎城へ帰らせ給ふ。此を一の宮の後詰とて天下後世まで其御英武を感歎する所なり。(後年豊臣太閤のもとに 烈祖をはじめ諸将会集有し時。誰にかありけん古老のもの 烈祖に対し奉り。先年一宮の後詰こそ今に御武名をとなへ。天下に美談と仕候と申上ければ。 烈祖否々それも若気の所為なりと宣ひ。微笑しましましけると傳へき。)小原鎮実も吉野田城をひらき。田原御油等の敵城もみな攻おとされ。東三河。碧海。加茂。額田。幡豆。室飯。八名。設楽。渥美等の郡みな御手に属しければ。吉田は酒井忠次にたまはる。これ当家の御家人に始て城主を命ぜられたる濫觴とぞ……
※『東照宮御實紀』巻二 永禄七年-同十一年「一宮後詰」「家康初以家人爲城主」
※原文中「武田信虎(たけだ のぶとら。信玄の父)」とありますが、この時点で信虎は武田信玄(演:阿部寛)によって追放されているため、誤記と思われます。
以上が後世に言う「一宮後詰」のあらすじ。さすが「海道一の弓取り」と呼ばれた徳川家康の武略を、敵味方なく褒めたたえました。
後年、豊臣秀吉(演:ムツヨロシ)の元に諸大名が集まった際、誰かが家康に「一宮の後詰こそ天下の美談」とおだてたそうです。それに対して家康は「あれは若気の至りにございました」とはぐらかしたそうです。
時は戻って小原鎮実もついに降伏、明け渡された吉田城は酒井忠次(演:大森南朋)に与えられました。これが、家臣が城主となった初めての事例。永年の功労が認められた忠次の喜びもひとしおだったことでしょう。
このエピソードがNHK大河ドラマ「どうする家康」で演じられるかどうか分かりませんが、是非とも期待したいですね!
※参考文献:
- 『徳川實紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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