神代(神話の時代)から南北朝まで、歴史上の偉人585人を肖像化した歴史画のバイブル『前賢故実(ぜんけんこじつ)』。
作者は幕末から明治初期に活躍した絵師・菊池容斎(きくち ようさい。菊池武保)、神々や皇族から庶民に至るまで活き活きと描かれ、往時を髣髴とさせてくれます。
そこで今回はこんな一枚を紹介。アクロバティックな身のこなしで降りしきる矢の雨を巧みにかわしつつ、剣で幾筋か斬り折っている彼は何者なのでしょうか。
肖像画には解説文がついているので、こちらを読んでいきましょう。
丁未の乱にて孤軍奮闘
彼の名は捕鳥部萬(ととりべの よろづ)。大連・物部守屋(もののべの もりや)に仕えていました。
捕鳥部とは文字通り、鳥を捕らえる生業をした一族(品部)で、現代の鳥取県もこれが由来です。
時に用明天皇2年(587年)7月、蘇我馬子(そがの うまこ)らの急襲を受けた守屋は、奮戦空しく滅ぼされてしまいました(丁未の乱)。
「さぁ、総大将は討たれた。大人しく降れば命までは奪らぬ」
主君の危機に駆けつけた萬はそんな声に耳など貸さず、たった一人になっても抵抗を続けます。
「残党がいたぞ!抵抗するなら容赦はせぬ。者ども、追え!」
「「「おおぅ……っ!」」」
萬は竹藪へ逃げ込むと、その奥深くへ追手を誘い込みました。
「どこだ!」
追手が探し回っていると、たちまち周囲の藪が一斉にガサゴソと鳴り響きます。
「しまった、これは罠だ!」
狭い藪の中で伏兵に完全包囲されたら命がありません。追手の者たちは慌てて逃げ出しました。
実はこれ、萬があらかじめあちこちに張り巡らしておいた縄を揺さぶっただけ。こうすることで、敵はこちらが伏兵を仕掛けているように思うでしょう。
「えぇい、何をしておる!敵は小勢ぞ、早く行け!」
「そうは仰いますが……」
すっかり腰が引けてしまった追手の者たちはおっかなびっくり竹藪へ入っては恐れに追い返され、時には藪から射殺され……と萬ひとりに苦戦します。
「もうよかろう。そなたもよく戦った。その武勇に免じて命ばかりは助けるゆえ、潔く降れ!」
再度の降伏勧告に対し、萬は竹藪から出て叫びました。
「我は卑しくも醜の御楯(しこのみたて)とて奉公して参ったが、罪なき主を討たれたれば、あくまで忠義を尽くすのみ。この上討たれるべきか、捕らわるべきか、言い分があれば聞かせよ!」
「これ以上の説得は無駄のようだ、放て!」
号令一下、萬ひとりに向けて矢の雨が降り注がれました。
「何の!」
萬は抜刀して敵の大軍へひとり突撃。飛びくる矢の雨をかわして叩き切って大立ち回りを演じます。これが『前賢故実』の挿絵ですね。
たった一人で30人ばかりも斬り殺した萬。しかし力尽きると弓を三つに斬り截ち、剣もへし曲げて川に放り投げると、脇差を抜いて自決しました。
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エピローグ
「この野郎、手こずらせやがって!」
萬の遺体に殺到した追手は、たちまちその首級を上げました。
「ざまぁ見ろ、晒し首にしてやろうぜ!」
苦戦したぶんだけここぞとばかりにいきり立つところへ、一頭の白い犬が駆け寄ってきました。生前、萬が可愛がっていた子です。
「うわっ、なんだ!」
白犬は高々と掲げられた萬の首級をひったくり、くわえたまま走り去りました。
「待てこら、返せ!」
追手を振り切った白犬がやってきたのは、先祖代々の墓前。ようやく萬の首を下ろすと、抱きかかえたまま息絶えたということです。
捕鳥部萬物部守屋臣也。在難波間主家難単騎夜馳到河内馬于遣兵索之萬入深篁射衆恐有伏。不敢進。叢射之飛矢如雨。萬揮刀桿之大呼奮撃。殺三十余人。以刀三截其弓。屈其刀投之河。別把刀自刎而死。萬家所畜白狗竊銜首。至真名跑古塚埋畢。而自斃於其側。
※菊池容斎『前賢故実 巻第一』より
以上、捕鳥部萬のエピソードを紹介してきました。最期まで主君に忠義を尽くして戦った萬と、その首級を奪い返した白犬の絆が胸を打ちます。
現在、萬と白犬の墓は大阪府岸和田市に伝わっており(天神山1号2号古墳)、1号古墳が「義犬塚」、2号古墳が萬の墓ということです。
2号古墳の上には三条実美(さんじょう さねとみ。幕末~明治期の公卿)が顕彰碑を建立、人々にその活躍を伝えています。
※参考文献:
- 菊池容斎『前賢故実 巻第一』国立国会図書館デジタルコレクション
- 佐伯有清 編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年11月
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