織田信長(演:岡田准一)と言えば、天下布武の覇道を突き進む改革者として、盟友の徳川家康(演:松本潤)を引きずり回すイメージですよね。
しかし、江戸幕府の公式記録『徳川実紀』を見ると、信長も意外とドジもやらかしています。
それを家康に尻拭いをさせている場面もあり、両者の関係もまた違って見える事でしょう。
元亀元年(1570年)。信長と家康が共同で、朝倉義景(あさくら よしかげ)を攻めるために兵を進めた時の事でした。
織田信長、家康に黙って敵前逃亡……金ヶ崎の退口にて
「……遅い、浅井はまだか!」
信長は妹婿の浅井長政(演:大貫勇輔)が未だ着到しないと苛立っていました。
「……申し上げます!浅井殿、ご謀叛の由!我らが背後を突きまして御見方は大混乱。間もなくこちらへ参りまする!」
浅井は織田との姻戚関係とは別に、朝倉とも同盟関係にありました。きっと織田と朝倉の板挟みに悩んだ結果、朝倉を選んだのでしょう。
「是非もなし。ただちに兵を退く!猿、殿軍(しんがり)をせぇ!」
「へぃ、承知してごぜぇやす!」
「……時に御屋形様、(離れて布陣している)徳川殿への報せは?」
「そんなもん構うな、とにかく一刻も早く兵を退くのじゃ!」
……かくして木下藤吉郎(演:ムロツヨシ。羽柴秀吉)にわずかばかりの兵を与えて殿軍とし、信長たちは一目散に逃げ帰って行きました。
「殿、織田殿が兵を退いて行きますぞ!」
一方、徳川の陣中では織田勢の退却を確認、にわかに浮き足立ちます。
「浅井が敵方へ寝返ったようですな。背後を突かれて織田殿も総崩れじゃ」
「それにしても我らに何の報せもなく、言い出しっぺが真っ先に逃げ出すとは……殿、我らも急ぎ兵を退きましょうぞ!」
「左様。モタモタしておると、朝倉と浅井に挟撃され申す。ただちに撤退のご下知を!」
しかし家康は家臣たちを率いて、殿軍を務める藤吉郎の加勢に向かいました。
「木下殿、ご無事か!」
「これは徳川殿……かたじけにゃあで!」
力を合わせて奮戦した結果、何とか尾張へ生還できたのでした。
※金ヶ崎の退口について、『徳川実紀』の原文はこちらで読めます!
織田信長、現場で家康に無茶ぶり……姉川の合戦にて
「おのれ浅井め……断じて許さぬ!」
命からがら逃げ帰った信長は、報復のため再び兵を挙げます。家康もこれに従い、近江国姉川(滋賀県長浜市)で浅井&朝倉連合軍と対峙しました。世に言う「姉川の合戦」です。
「我らは朝倉に当たるゆえ、徳川殿は浅井を頼む」
「承知した」
信長の依頼で浅井長政と戦うことになった家康。しかし開戦の直前になって、信長から「やっぱり入れ替ってくれ」と依頼が来ました。
と言うのも、信長は最初「朝倉の方が兵も少ないため、楽に倒せる」と思っていたのですが、いざ来てみると朝倉の軍勢は一万五千。浅井の軍勢は八千程度だったのです。
【姉川の合戦・両軍の戦力データ】
織田信長 | 10,000 | 朝倉景健 | 15,000 |
徳川家康 | 3,000 | 浅井長政 | 8,000 |
信長のワガママを聞いた松平家臣団は大激怒。「我らに5倍の敵を受け持てと言うのか!」「冗談じゃない。軍勢を動かして陣をしく手間だけでも大変なのに!」「そもそも織田殿の戦さであろうに、何ゆえ援軍の我らが難敵を引き受けねばならんのじゃ!」
……などなど。しかし家康はこれを引き受け、5倍の敵を相手に獅子奮迅の大活躍。みごと朝倉勢を蹴散らしたのでした。
一方の織田勢は、数の上では少ない浅井の軍勢を前に旗色悪しく、今にも崩れてしまいそうです。
「勝ちの勢いに乗じて、織田殿を助けに参るぞ!かかれ!」
かくして家康たちは浅井の軍勢勢も蹴散らし、大いに武名を高めたのでした。
※姉川の合戦について、『徳川実紀』の原文はこちらで読めます!
終わりに
以上が江戸幕府の公式記録『徳川実紀』が伝える金ヶ崎の退口・姉川の合戦の概略となります。
もちろん徳川当局にとって都合よく書かれている部分も多いのでしょうが、少なくとも家康たち三河武士団が奮闘したのは間違いないでしょう。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では信長に引きずり回されてばかりの家康ですが、実際には盟友として全力を尽くしていたようで、劇中にもそんな描写があると嬉しいですね!
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
- 小和田哲男『詳細図説家康記』新人物往来社、2010年3月
- 二木謙一『徳川家康』ちくま新書、1998年1月
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